小説『ゾルダーテン』chap.01:善良な娘

 上空要塞都市イーダフェルト。
 アスガルトの中心部にして中枢部、世界の臍と称される大都市イーダフェルト。その礎は大地に接してはおらず、聳え立つ堅牢な壁に周囲を囲まれるが故に要塞都市と呼ばれる。政治・軍事・司法の要所を擁し、それぞれに従事する役人・軍人・官吏・研究者もしくは有力貴族のみが内部での居住を許されている。

 イーダフェルト北エリア・三本爪飛竜騎兵大隊庁舎。
 西方森林最深部から引き上げた三本爪飛竜騎兵大隊は己の隊舎に本拠地を戻していた。
 一番の目的であったヴァルトラムの行動停止及び強制連行の任務を果たしたのち、ビシュラはトラジロの補佐として事務作業に従事していた。ビシュラは非戦闘要員であり、三本爪飛竜騎兵大隊への派遣期間が満期を迎えるまでは危険のない今の仕事が続くであろう。


 ビシュラはトラジロに伴われ資料室を訪れていた。指示された資料集めを手伝いながらトラジロに話しかける。
 仕事上最も長く傍にいることもありトラジロとはよく話すようになっていた。


「トラジロ騎兵隊長さま」

「何です、ビシュラ」


 仕事の質問をするにしろ素朴な疑問を口にするにしろ、トラジロに嫌な顔をされたことは一度もない。

 ビシュラから見てトラジロは他の隊員たちとは少々異なる人物だった。三本爪飛竜騎兵大隊は戦闘や荒事に従事する機会が多く気質の荒っぽさで有名だが、トラジロは普段は冷静で物静かな人物だ。三本爪飛竜騎兵大隊騎兵隊長だと知らなければビシュラは恐らくトラジロを武官だとは思わなかったであろう。
 だからビシュラは既にトラジロを信頼しきっており、気さくに話しかけることもできる。


「ずっと伺おうと思っていたのですけれど、ヴァルトラム歩兵隊長さまは一体何をして軟禁されることになったのですか?」


 イーダフェルトに帰還してからというもの、ヴァルトラムはずっと隊舎の一室に閉じ込められている。


「何をして、という訳ではないのですよ。今までの悪行が積もり積もった結果です」

「悪行、ですか」


 ビシュラは苦笑する。あの魔物のような男がどのような悪辣な行為を行ったのだろうかと想像するのも恐ろしい。


「あのバカ歩兵長はひどく頑丈でね、懲罰を与えようにもちょっとやそっと殴ったり切ったりしたって効かない上に、総隊長が本気を出したら逆に悦ぶ戦闘狂のマゾヒストと来てる。そういうバカだから一度戦場に出るとなかなか戻りたがらない。今回無理矢理にでも連れ戻したのは懲罰の為だけではなく、本人が長いこと無視をしている傷の治療や静養も兼ねているのです」


 トラジロは資料からを目を外し、ビシュラに向かってフッと笑みを見せてくれた。


「だからキミが気に病むことは何も無い。存分に任務に励みなさい、ビシュラ」


 初対面の時は味方など誰一人いない状況であったし、あの場にいた人物は皆畑違い、身分的には雲の上の存在であったから孤独感しかなかった。トラジロにしても無表情で厳格で、ビシュラにとっては畏怖の対象だった。
 だが今はこうして話しかければ返してくれるし、時たま笑顔も許してくれる。だからビシュラは残り僅かな派遣期間で自分にできうる限り懸命に務めようと思うのだ。






 資料集めを終えたトラジロはビシュラと分かれ、一人で総隊長執務室を訪れた。

 ドアを開けて正面に配置されているデスクには誰もいなかった。部屋の主である天尊(ティエンゾン)はソファに体を投げ出していた。
 トラジロは何も言わず部屋の中に入ってゆき、デスクの上に書類を置いた。


「ビシュラの様子はどうだ?」

「ウチの誰よりも真面目にやっていますよ」


 天尊が眠っていないことに気付いていたトラジロは驚きもしなかった。


「何より処理が早くて助かります。ウチのヤツ等は戦闘特化ばかりで事務方では使い物にならないので。本当に事務方専用として《観測所》からウチに引き取ってもらいたいくらいですよ」


 天尊はソファから上半身を起こしてクックッと笑う。隊のデスクワークはほぼトラジロが引き受けているのでそういった冗談も言いたくなる気持ちは充分に分かる。


「ああ、それとビシュラについてもう一点。作業の合間を見付けては甲斐甲斐しくヴァルトラムの元へ通っているようです」

「何でまた。入隊試験だっつって散々ビビらされたのに。ヴァルトラムの噂も知ってる感じだったぞ」

「あんなバカでも、任務といえども閉じ込めていることに罪悪感を感じているのでしょう」


 トラジロは「はあ」と溜息を吐いた。


「あの子は本当に心根が善良なんですよ。ウチにはいないタイプですが」


 トラジロがしみじみと言うと天尊は「あーはっはっはっ」と声を上げて笑う。


「問題があるようでしたら隔離部屋に近付かないようにビシュラに言いますが」

「別にいーんじゃねェか。それで罪悪感とやらが軽くなるっつうなら」

「ヴァルトラムが軟禁されているのは正真正銘の自業自得です。あんなバカに罪悪感なんて感じてやることないのですがね」





   §§§§§





 三本爪飛竜騎兵大隊庁舎内・隔離エリア2号室。

 真白い部屋にヴァルトラムは閉じ込められていた。
 壁には絵の一つも、シミや模様すらも無く、高い位置に窓が一つだけ。そのたった一つの窓には太い格子が填められ扉は施錠されており特別なキーが無ければ内からも外からも開けることはできない。
 ベッドと小さなテーブルと椅子が一つずつ。全てが衛生的に管理され小綺麗すぎて生活感が無い。

 ヴァルトラムは上半身を露わにし、ベッドの上に座していた。ビシュラはヴァルトラムの胴に巻かれた包帯をクルクルと巻き取っていく。
 古くからあるらしい小さな傷は残っているものの、比較的新しい大きな傷は完全に塞がり、新たに皮膚が形成されているのが見て取れる。


「傷はもうほとんどなくなりましたね。歩兵隊長さまといえどもまさかこんなに治りが早いなんて」

「オメェは治療もできんのか」

「いいえ。学院(ギムナジウム)で習った応急措置程度です。本格的な治療はできません。ですが先生や医療班の方は皆お忙しそうでしたので、わたしでも少しはお手伝いになるかと」

「正直に言っていいんだぜ」

「はい?」

「医療班の奴等はビビって俺に近付きたがらねェってな」


 ビシュラは手の中で包帯を巻き上げつつ苦笑する。
 ビシュラが行動を停止させたのち天尊によってネェベルを封じられ物理的に手枷を填められ、まるで犯罪者のような体でこちらへ連行されたヴァルトラムを見て、医療班に多大なる動揺が走ったのは事実だ。


「それもまぁ、多少は……。全くないといえば嘘になりますが……」


 ビシュラは薬瓶を持ち上げて蓋を開けた。ヴァルトラムは薬品の臭いが嫌いらしくいつもほんの少し嫌そうな顔をする。
 そんな仕草を見ると本当は化け物などではなく自分とあまり変わらない「人」なのだなぁと実感してビシュラの緊張が和らぐ。


「しかしこちらにいらしてからヴァルトラム歩兵隊長さまは大変穏やかに過ごしてくださっていますので、医療班の方々もそれほどまでには恐がっておられませんよ」

「オメェの所為で温和しくしてやってる」

「それは光栄です」


 予想外の賛辞。ビシュラは嬉しそうにフフフと笑う。


「オメェのプログラムをどうにかしたってその後がまた面倒だ。御丁寧に総隊長がこの部屋を《壁》で囲ってやがる。丸腰でコイツを破るのは骨だ」

「カルディナルロート総隊長さまのプログラムが堅固であることはわたしにも分かります。ですがわたしのプログラムなら簡単に破れるような仰有り様ですね」

「オメェこそ、俺にはできねェような口じゃねェか」

「難しいからこそ温和しくしてくださっているのではありませんか」

「本当にできねェかどうか試すかコラ」


 ビクッ。


 ヴァルトラムから凄まれたビシュラは咄嗟にベッドから離れようとする。だがその腕をヴァルトラムはいち早く捕まえた。


「も、申し訳御座いません申し訳御座いません申し訳御座いません! わたくし如きが大変失礼を申し上げました!」


 ビシュラは必死に謝罪する。
 人らしいところを垣間見る機会が増えたと言っても、ヴァルトラム自身が懲罰ものの行いを重ねる非道徳的な性格であり、ビシュラにとって恐ろしい存在であることに違いはない。
 日常会話ができるようになるまででもやっとの思いだった。機嫌が良いときは話もできようが少しでも機嫌を損ねればビシュラを一捻りしてしまうくらいのことは呼吸をするように容易いのだ。

 完全に腰が引けたビシュラが怯えた目で許しを乞うていると、ヴァルトラムは手を離した。


「御気分を、害してしまいましたか?」

「別に。ガキの軽口なんざ真に受けねェ」


 ヴァルトラムは片足のくるぶしを引き上げ自分の腿に乗せた。口ではそうは言いつつも少々機嫌を損ねてしまったことは見て分かる。


「御機嫌をなおしてはいただけませんか? ヴァルトラム歩兵隊長さま」


 そう言うとビシュラは鞄を開けてゴソゴソと漁る。
 ヴァルトラムが横目で観察していると、ビシュラはニパッと笑った。


「長い療養期間で退屈しておられるかと思いまして、本日は本をお持ちしました」

「本だァ?」


 満面の笑みでハードカバーの本を差し出すビシュラ。ヴァルトラムは取り敢えずそれを受け取り表紙に目を落としてみた。


「今日はトラジロ騎兵隊長さまのお伴で書院と資料室を訪れたので、本を借りてきてみました。ヴァルトラム歩兵隊長さまはどのような物語がお好きですか? 今日は僭越ながらわたしが選定させていただいたものを持って参りましたが次はヴァルトラム歩兵長さまのお好みのものを……」


 ポイ。


 ヴァルトラムは興味なさそうに本から手を離した。重量のある本は「ばたぁん」と床に落下した。
 ビシュラは慌てて本を拾い上げる。


「何をなさるんですかっ」

「俺が本なんざ読むように見えるか」

「本を粗末に扱ってはいけませんよ。本とは知識の結晶、本ほど価値のあるものはないのですから」


 ビシュラは本の表紙を丁寧にパンパンと払う。大事そうに扱っているのを見てもヴァルトラムは「そうかよ」とだけ。


「本がお好きでないなら仰有ってくださればいいのに。投げ捨てるなんて……」


 ビシュラは本を胸に抱えしゅんと肩を落として悲しげ。
 武器らしい武器を扱うこともできない、ろくすっぽ戦闘もできない、戦場に出たこともない世間知らずの文官娘は、この世で最も価値のあるものは書物だと、本気でそんなことを考えているらしい。ヴァルトラムには到底理解できないことだが。

 価値観、死生観、物の考え方、持てる能力、評価スペック、こんなにも違うものか。こんなにも違う生き物が存在していたのか。
 戦渦を知らぬ生き物。ヴァルトラムが長い間生き抜いてきた世界にはいない生き物だ。


 ヴァルトラムはビシュラの腕から本をヒョイッと抜き取った。
 ヴァルトラムによって高く掲げられる本。ビシュラは腕を伸ばしてぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「聞いてやるからオメェが読め」

「わたしがですか?」


 ビシュラはハッとして突然申し訳なさそうに表情を曇らせる。


「ヴァルトラム歩兵隊長さまはもしや識字がお得意ではないのですか……? わたし存じ上げなかったものですから……」

「莫迦にしてんのか。いくら学院(ギムナジウム)を出てなくても字くらい読める」

「失礼しましたっ」


 ビシュラは慌てて頭を下げた。重ね重ね失礼なことをしでかす自分にちょっと泣きたい気分だ。



「俺ァオメェの声で聞きたい」



 手を取られビシュラはギクッとした。
 手首を柔らかく握る熱。自分の肌の上に乗った硬い皮膚の感触。この人でも相手を痛めないように加減をして触れることがあるのだと思って。


「本なんざ面白かねェだろうがオメェの声なら聞いてやる」


 ヴァルトラムはビシュラの腕を引き、自分の隣に座らせた。そして揃えられた腿の上に本をポンと置いてやった。
 ビシュラは本の表紙を開き、ぺらりとページを捲り始めた。


 なぜ、と訊ねたら答えてくれるのだろうか。

 ビシュラは命じられれば否と言うことはしない。だが今思っている疑問を素直に「なぜ」と口にしたなら、当然のように命じることに慣れきったこの男はビシュラの為に答を用意してくれるのだろうか。

 だが訊かずとも答えは分かっている。それは恐らく気紛れだ。医療班とビシュラ以外には接することがない長い軟禁生活の退屈を誤魔化すための気紛れ。
 医療班の者がみなヴァルトラムを恐れていることは事実であり、治療や経過観察の為に接近することはあってもビシュラほど会話を交わしたりはしない。
 ヴァルトラムが自分から声を発し、自分に向けられる誰かの声は、この空間に閉じ込められてからほぼビシュラのみだ。





 オメェみてぇな声は聞いたことがねェ。

 高くもなく低くもなく、歌うように耳に届く。
 怯えながらも従いながらも濁ることなく綺麗に響く。

 綺麗だと。
 たかが声に今までこんなこと考えたこともねェ。



 俺を身動き取れなくしちまったあの時も

 俺ァお前の声を聞いていたんだ。





   §§§§§





(なんとなくこんなことになる予想はしてたけど💧)


 ビシュラはパタンと本を閉じた。
 隣からヴァルトラムの寝息が聞こえてくる。横になって聞くと言い出したときから寝入ってしまいそうな予想はしていたのだ。

 ビシュラはヴァルトラムに目を落とす。眠っていても眉間に刻まれた皺が消えることはなく、寝顔も恐いのだなと苦笑してしまう。


 ヴァルトラムはビシュラを己とは違う生き物だと悟った。だが同じようにビシュラもまたこの男は常人ではないと知った。
 尋常ではないネェベルが渦巻いていることも、鉄壁を誇る強靱な肉体を持っていることも、破壊衝動に躊躇しないことも、三本爪飛竜騎兵大隊歩兵隊長たる身分も、何もかもがビシュラに住む世界が違うことを思い知らせる。
 天尊からの要請がなければ、所長イヴァンがビシュラを選ばなければ、《観測所》に配属されるのが一年遅ければ、決して巡り逢うことがなかった別世界の住人。

 この同じイーダフェルトの街にいたって交わることなどないはずだったのに。



「フェイ」


 寝入っていると思っていたヴァルトラムが突然言葉を発し、ビシュラはビクッとした。


(ああ、歩兵隊二位官のフェイさまを寝言で呼んでいらっしゃるのかな。女性武官と伺っていたからどんな人だろうって想像してたけど美人だったなぁ。女性だてら二位官にまでなられるなんてきっとお強い――)


「若い娘を捕まえて昼寝たァいい御身分だな」


 予想外の声にビシュラはビクーッと大きく全身を跳ね上げた。
 扉のほうを見るとまさに(フェイ)が腕組みをして立っていた。


「こんなトコに閉じ込められてたんじゃ他にすることもねェ」


 ヴァルトラムがむくりと上半身を起こすと同時に、緋は扉を閉めてツカツカと部屋の中に入ってくる。
 ベッドの前に立つと再び腕組みをしてヴァルトラムを見下ろす。


「あんまりこの子を捕まえてたらトラジロが怒るぞ。まだまだやってもらわなきゃいけない書類が山ほどあるんだからな」

「あっ。わたし仕事に戻ります」


 ビシュラは急いでベッドから立ち上がった。緋から叱られるとでも思ったのだろう、精一杯ピンと背筋を伸ばす。
 緋は胸を張って立っても自分より随分小柄なビシュラをじっと見詰める。それからヴァルトラムを横目で一瞥した。


「もうすぐアンタの謹慎が空ける。傷は治ってるんだろうな」

「当たり前ェだろが」


 緋はビシュラにクイッと顎で指図した。


「アタシと来い、ビシュラ。アタシもトラジロに用がある」

「はい」


 ビシュラは返事をした後クルッと振り返った。ヴァルトラムに向かって深々と頭を下げて「失礼します」と述べた。


「ビシュラ」


 ビシュラはドキッとした。初めて名前を呼ばれた。
 あまりにも呼ばれないから覚えられていないのかと思ったのに。派遣期間が完了すれば隊からいなくなり、二度と出逢うことなどないであろう自分などにこの男は興味はないだろうから。

 顔を上げるとヴァルトラムは手に持った本をプラプラと揺らしていた。


「またあとで続きを読みに来い」

「はっ、はい」




 ヴァルトラムの部屋から出て施錠してさあ歩き出そうかと思ったら、緋は足を進めなかった。
 ビシュラは不思議そうに緋を見上げる。


「よく続くもんだな」

「フェイ二位官殿?」

「ただの(フェイ)でいい」

「では、フェイさんとお呼びしてよろしいですか」


 愛嬌の良い笑顔でニコニコしているビシュラを見て緋は「はあ」と溜息を吐いた。


「ビシュラ。飽きもせずあんなのの相手してやって、お前が本当に優しい娘だってことは分かった。だがあの人でなしに情けなんてかけるなよ」


 予想もしてなかったことを言われ、ビシュラは目をパチパチさせる。


「閉じ込められてるから少しはマトモに見えてるかも知れないが、歩兵長は正真正銘の人でなしだ。それも最低レベルのな」

「でも、歩兵隊長さまですよ……?」

「歩兵長にとっては歩兵長という身分なんてどうでもいいモンだ。こっちだってアイツより強いヤツがいるならあんなの歩兵隊長にしときやしない」

「フェイさんはヴァルトラム歩兵隊長さまがお嫌いなのですか?」

「アタシは好き嫌いで仕事はしない」


(それはつまり『好きではない』という意味なのでは💧)


 ビシュラは緋から言われたことを自分なりに何かしら一思案したあと、口元に手を当て「うーん」と零した。


「トラジロ騎兵隊長さまもヴァルトラム歩兵隊長さまを悪行を重ねる方だと仰有ってましたが、それほどヒドイ方だとは思えないのですけれど」

「…………」


 緋は額に手を当てて天を仰いだ。





Fortsetzung folgt.

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