小説『ゾルダーテン』chap.04:極寒の地へ01

 始めは薫風にまみれ青々しかった景色も、草木が少なくなるにつれ段々と色を失ってゆき、土と岩の風景へと移り変わる。褪色したグレーの土地を進み更に生き物の気配が薄まると、ついには空と大地の境界は消え失せた。

 一面の銀世界。
 中枢都市イーダフェルトから遠く離れた雪原は、ただただ白かった。遠くまで見渡せるのに視界に動くものが一切見当たらない、建物も木も生き物も。風を切っていなければ自分が前進しているのかどうかも分からなくなってしまう。
 走ってきた方向を振り返るといくつもの轍が見えた。これが前進している証拠だ。これも数時間後には降雪に掻き消されてしまうのだろうけれど。

 宏大かつ無為な雪原を突っ切って直走る。目的地は遙か遠く遠く、北の大地の果て。



「さっ、ささささ、寒いです!」


 ビシュラはカタカタカタと震えていた。唇の震えが止まらないし鼻がツーンと痛い。

 ビシュラは(フェイ)の乗り物に乗せてもらっていた。座席の後ろに大きなトランクを積んだ三輪の乗り物。一つしかないシートの前半分に緋が座り、後部にビシュラが乗って緋の胴にしがみついている。ギュッとしっかりしがみついているのは速度の所為だけではなく寒さの所為でもある。

 三本爪飛竜騎兵大隊(リントヴルムリッター)歩兵隊は、三輪の乗り物四輪の乗り物入り乱れ、真っ白な大地に轍を刻みながら大移動していた。
 騎兵隊は飛竜で移動している。地上を行くよりも飛竜のほうが長く早く移動することができる。旅路は騎兵隊がその日の目的地まで先んじて到着し、其処へ歩兵隊が追い付くという行程を数回繰り返して進んでいく。
 ビシュラは騎兵隊でありながらも飛竜を駆ることができない為、緋に同乗させてもらった。


「防寒が足りないんだよ。そんな薄いコート一枚で。ちゃんと用意してこいって言っといただろ」

「まさかこんなに寒いなんて思わなかったんですっ」


 ビシュラの姿はいつもの服装に踝までの長さがあるフード付きマントを羽織っただけ。常用しているものより生地が厚いものを用意したのだが到底通用しなかった。
 ここはイーダフェルトから遠く離れた北方であり気候が全然異なる。寒さの厳しさはビシュラの想像を超えていた。


「豪雪地帯とは聞いていましたが、本当に辺り一面真っ白になるんですね。雪は触ったらすぐ溶けてしまうのにこんなにたくさん積もるなんて不思議です」

「何を今更。生まれて初めて雪を見たわけでもあるまいし」

「初めてです」

「はあっ?」

「ですから、雪が降っているところを見たのは初めてです」

「お前……」


 カタン、と窓を開ける音。緋と併走していた四輪の乗り物の窓が開いた。
 窓から手が出てきて緋にクイックイッと指図する。近付けという意味だ。
 緋は乗り物を最接近させて「なんだ」と問い掛けた。

 高級感のある艶やかな黒塗りの車体は、緋の乗り物の倍以上の大きさはある。支える車輪も人一人分ほどあり、それが轟音を上げながら高速で回転しているので併走しているビシュラは正直ビクビクもの。
 乗り物に馭者はいない。設定したルートに沿って昼夜を問わず自動で走行する。さながら移動する部屋だ。


 窓からヴァルトラムの顔が見えた。


「こっちへ来い、ビシュラ」

「歩兵長のお車へですか?」

「フェイのケツに乗ってたら余計寒いぞ」

「しかし歩兵長のお車に同乗するのは畏れ多く……」

「オメェの好きな菓子があるぞ」


 窓から菓子をちらつかされ、ウッと一瞬押し黙った。
 ヴァルトラムが手に持つ、キラキラと紅柘榴のように輝くそれは、ビシュラの好物の菓子の中でも最高級のもの。ビシュラの稼ぎでは街で見かけても購入には踏み切れない高級品。


「わたしは子どもではありませんよ。お菓子ぐらいで釣られたりはしません」

「行け、ビシュラ。アタシの後ろに乗ってて風邪でも引かれたらアタシの所為になっちまう」


 緋は笑いながらそう言った。お菓子に釣られるのは癪だろうが、この環境下では他の隊員たちよりも肉体の弱い彼女が風邪を引いてしまう可能性が高いのは事実だ。
 思い遣り深い緋に逆らうのは難しい。ビシュラは乗り物を乗り換えた。



 ヴァルトラムの乗り物の中はかなり広かった。
 ドアを開けると突き当たりに一人掛けの革張りのソファとサイドテーブル。奥には寝台、チェストやクローゼットまで備え付けられている。

 ソファに沈み込んで「こっちに来い」と呼ぶヴァルトラム。一人ならばゆったり座れる大きさのソファなのに、ヴァルトラムが腰掛けると少し窮屈そうにすら見えた。
 言われた通りヴァルトラムの傍へ行くと手を引かれ、両足の間に座らされた。肩に羽織っていた毛皮のコートを鳥が羽を広げるように広げ、バサッとビシュラを覆って両腕の中に囲った。

 歩兵隊長様の上等なコートの中は流石に暖かい。グレーの毛皮もスベスベで気持ちがよい。
 それにビシュラよりもヴァルトラムのほうが体温が高く、密着しているとそれが伝わってくる。


「冷えてるな」


 コートの中で指を絡めて手を握られ、ドキッとした。


「そ、外はとても寒いので。ここは全然温度が違いますね」

「だから始めから俺の車に乗れっつったんだ」

「わたしのような新人が歩兵長のお車に同乗するなど本当は畏れ多いことなのですよ。歩兵長はお気になさらないでしょうけれど」

「フェイのケツには乗るクセによ。菓子でもくれなきゃ俺にゃ近寄らねェってか」

「言っておきますが、わたしは本当にお菓子に釣られた訳ではありませんからね」


 ヴァルトラムはサイドテーブルの端に置いてあった菓子の皿を引き寄せた。山盛りの紅柘榴を見てビシュラの目が輝く。


「好きなだけ食え」

「全部よいのですか?✨」

「オメェ以外に食うヤツァいねェ」


 ヴァルトラムは紅柘榴色の菓子を摘まみ上げ、ビシュラの口の中に放った。舌の上であっという間に溶けて甘いのに後味を残さない上品な味が口内に広がる。


「やっぱり高いのは格別美味しいです✨ お値段の価値あります」


(チョロい)


 釣れた。完全に釣れた。
 口では何と言っても表情は正直だ。ビシュラは上機嫌にニコニコしている。


 高級菓子に舌鼓を打って堪能した後、ビシュラはふと車の後部のほうへ目をやった。
 ヴァルトラムも肘掛けに頬杖を突いてビシュラの視線を辿る。


「ん? 何だ、ベッドが気になるのか? 到着するまでにまだ時間があるから試すか」

「何を仰有ってるんですかっ」


 ビシュラが見ていたのは車内ではない。壁紙の向こう、車の外、この車を先頭に構成される隊列の中。


「総隊長のお車も後続でいらっしゃているんですよね」

「ああ。隊列の中央辺りだから随分後ろだ。アイツの車が気になるのか?」


 ヴァルトラムはビシュラの顎を捕まえ、自分のほうを向かせる。


「ミズガルダの御嬢様は……大丈夫なのでしょうか。まだ一度も目を覚まされていないようですけれど」

「俺に訊くな。ミズガルズのこたァオメェのほうが専門だろ」

「そうは仰有いましてもわたしも実際に目にするのは初めてですから」


 そう、現在天尊(ティエンゾン)の車には世にも珍しいミズガルズの生き物が乗っている。
 ミズガルズは《観測所》の観測対象。故にビシュラはその世界のことを知識としてよく知っているし話題に上ることも多かったが、ミズガルズの生き物である《ミズガルダ》と直接接したことはない。
 何故ならアスガルトとミズガルズは《ビヴロスト》システムにより隔絶されており、二距離間の移動は《観測所》の完全管理下にあり自由に行き来することは許されていない。

 ビシュラが天尊に許されてあの生き物を見たとき、深い睡眠状態だった。トラジロやヴァルトラムを含む数人でマジマジと観察し囲んで会話を交わしたのは相当に騒がしかっただろうに一向に目を覚ます気配がなかった。
 初めて目にしたミズガルズの生き物は、少女の姿をしていた。年端もゆかない少女の寝顔は彫刻のように白く、生気が無いように見えた。

 眠り続ける異界の少女――――その様まるで眠り姫。
 その儚さがビシュラを憂わしげにさせている。



「ミズガルダっつーのはあんなに眠るもんなのか」

「いいえ。何日も眠り続けるというのは稀です。恐らく、アスガルトの大気に体が慣れていないのだと思います。アスガルタとミズガルダは構造こそ似ていますが本質的には全く異なるものですから。慣れるまでは体がお辛いでしょう。まだお小さくいらっしゃるのにお可哀想」

「サイズはオメェとあんま変わんねェぞ」

「歩兵長と比べれば大抵の女性は小さいです」


 ビシュラは少々ムッとしてプイッと顔を逸らした。
 あの少女は明らかにビシュラよりも幼かった。恐らくは成人前であろう。それと同列に語られるというのは自分も子ども扱いされているということであり面白くない。

 臍を曲げたビシュラは斜めがけの鞄をがさごそと漁る。中から取り出したのは、疑似ディスプレイと羽ペン。宙に浮かぶ疑似ディスプレイに羽ペンで直接文字や図形を書くとデータ化されるという代物だ。
 ビシュラは慣れた手付きで羽ペンをヒョコヒョコと動かして文字を書き連ねていく。


「何だそりゃ」

「フェイさんの後ろではできませんでしたがここならば風が無いので仕事を進めることができます」

「仕事だァ?」


 ヴァルトラムは疑似ディスプレイに手を突っ込んで画面を邪魔してみる。平面を構成できなければ文字書きをすることはできない。ビシュラはヴァルトラムの手を押し返した。


「総隊長から命じられたわたしの仕事は記録係です」

「紙切れと睨めっこすんのが仕事とは、つまんねェ仕事だ」

「大切なお仕事ですよ。報告書が作成できないと経費も計上できませんし正当な評価もされません。そうなると皆さんの働きが無駄になってしまいます。今までは騎兵長がなさっていたそうですが、騎兵長は前線で指揮も執られますから流石に充分には行き届かなくて当然です」

「戦えねェオメェには適任かもな」


 小馬鹿にしたように言われ、ビシュラはしゅんと肩を落とす。
 戦う力も意思も持たず武器の代わりに紙とペンを持って戦場を付いて回るなど、そんな無力な子どものような行動など、ヴァルトラムには何の価値も無いことだろう。


「そんなにハッキリ仰有らなくても……」


 ヴァルトラムはハッと鼻で笑った。
 分かってはいたが慰めてもくれない。この男にはビシュラがどんな心持ちでいるかなどを発想する想像力は無いのだ。





   §§§§§





 うっすらと目を開ける。もうずっと長い間眠っていた気がするのに、久方振りに目を覚ました気がするのに、体から疲労が取れていない。肩から下に重厚な倦怠感が纏わり付いている。


「う……ん」


 身動ぎしようとしたのに思ったよりも腕が重たくて、結局諦めた。
 コツ、と額に手が触れた。指先で髪の毛を耳に掛けて頬から退かし、次に前髪を退けて掌をぺたりと額の上に置く。


「目を覚ましたか、アキラ」


 虚勢の無い安堵の色が声質に現れていた。たかが声音といえども彼が本音を乗せるのは珍しい。
 少女は酷い倦怠感と睡魔とに対抗しつつどうにか頭を動かして声の主の顔を見る。普段ならば決して声音にも表情の一片にすらも本音を垣間見せない声の主――――天尊だ。


「良かった。もう覚めねェんじゃねェかと思ったぞ」


 天尊はアキラの頬に手を添える。撫でる手がくすぐったくて「ん」と声を漏らした。眠っている間は生気の無い顔色をしていたがようやく頬に少々赤みが戻っており、天尊は益々安堵した。

 アキラは天尊の乗り物の寝台に横たえられていた。天尊は本来ならば自らの飛竜で移動するが、今の状態のアキラを不安定な飛竜の騎乗に伴う訳にはいかなかった。体力が低下している状態では体に障る恐れがある。


「ここ、どこ……?」

「まだ目的地に向かっている途中だ。もう少しゆっくりしてろ」

「ん……」


 アキラは脱力して頭を枕の上に置いた。
 眠りに就くのは簡単だ。抵抗するのをやめてしまえばよいだけだ。纏わり付く倦怠感に身を委ねてしまえばよいだけだ。

 北の大地の果てを目指し、隊列は進む。





Fortsetzung folgt.

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