小説『ゾルダーテン』chap.04:眠り姫03

「あー! もうこんな時間っ」


 ビシュラは目を覚ますなり大声を上げた。
 獣耳を抓まれてツンと引っ張られる感触がして「んっ」と顔を顰める。


「寝起きから騒がしいヤツだ」


 ヴァルトラムを見てビシュラは目を大きくする。


「なんでまだいらっしゃるんですか。もう昼前ですよっ?」

「今頃目ェ覚ましたヤツに言われたかねェ」


 ヴァルトラムは悠然とベッドに横になっている。枕に肘を立てて頭を置き、ビシュラを見下ろしながら獣耳を指で撫でている。


「わたしの荷物フェイさんの乗り物に積んだまま……どうしよう」


 ヴァルトラムとは対照的にビシュラは若干パニック。オロオロと忙しなく視線を左右させる。


「ヒマなヤツに運ばせた」


 ヴァルトラムは部屋の隅を親指で差した。その方向を見ると確かにビシュラのバッグが置いてあった。


(フェイさんたちには何があったか大体バレてるんだろうなぁ……あああ、どんな顔して会えばいいんだろ💦)


 ビシュラは顔を両手で覆って俯く。緋やマクシミリアンと対面したときのことを想像しただけで身を捩りそうだ。

 ギッとスプリングが沈み、ヴァルトラムが体勢を変えたことが分かった。ビシュラが指の間から見てみるとヴァルトラムが覆い被さるように自分を見下ろしていた。


「昨日は随分よかったみたいだな? 耳出っぱなしだったもんなァ」


 ヴァルトラムは得意気に犬歯を剥き出しにする。ビシュラは指の間を閉じ、人の耳を真っ赤に染める。


「俺に刃向かったらどうなるか分かったか? 次やったら……」

「し、しません! しません!」

「今後は温和しく俺の言うこと聞くんだな?」


 ビシュラは素早くコクコクコクッと頷く。


「イイ子だ」


 ヴァルトラムはビシュラの手首を柔らかく捕まえて顔から退けさせる。眉を八の字にして恥ずかしそうに頬を赤らめる顔はヴァルトラムが満足がいく愛らしさだ。
 ヴァルトラムはやや首を傾げるように角度を斜めにしてビシュラにゆっくりと唇を重ねた。


「んっ……」


 頭を撫でると同時に獣耳に触れる指がくすぐったい。こんな風に獣耳に触れる人は今までにいなかった。蔑みの対象でしかないと思っていたのに。

 ヴァルトラムの唇が離れると、ビシュラはガバッと体を起こした。
 ヴァルトラムが自分のどこを気に入ったのかを考え倦ねている時間など今のビシュラには無かった。直属の上官であるトラジロに朝の挨拶をする定刻はとうに過ぎている。


「シャワーをお借りします。早く準備しないと……」


 ヴァルトラムに背を向けてベッドに手を突いて立ち上がる。


 どたぁんっ。


 ビシュラはシーツに絡まりながらベッドから滑り落ちた。
 床に足を着いたはずなのに、立ち上がるはずが力が入らずそのまま崩れ落ちてしまった。

 ビシュラは頭上に「?」を浮かべて訳が分からないという顔。カカカッとヴァルトラムの笑い声が聞こえた。


「昨夜イキすぎて足腰立たなくなったか」

「なっ!?」

「その様じゃ今日は仕事は無理だな」


 ヴァルトラムは床からビシュラを抱え上げ、ベッドの上に放った。


「温和しくここで寝てろ」


 勝ち誇ったような笑み。ヴァルトラムは上機嫌にカカカッと笑いながらシャワールームのほうへ入っていった。





   §§§§§





 昼下がりを過ぎた頃、天尊から招集がかかった。
 それほど大それたものではなく、歩兵隊・騎兵隊それぞれ隊長と二位官を自室に呼び寄せるというものだった。付け加え、そこには隊一の新人であるビシュラも呼ばれていた。


 ヴァルトラムと緋が天尊の部屋に出向いたときには既にビシュラが扉の前に立っていた。たった一人で一番乗りするのは気が引けて他の方々を廊下で待っていた。
 ビシュラと目が合うなりヴァルトラムはクッと笑った。


「よく起き上がれたな。朝は立てなかったクセに」

「あー、あー、あーッ!」


 緋の前で何という発言をしてくれるのだ。ビシュラは大声で発言を掻き消そうとする。
 ヴァルトラムの部屋で昨日何があったかなど、緋は大体の察しは付いているのだろうけれど。

 仕切り直す為にビシュラは「コホン」と軽く咳払い。


「総隊長から直々に御連絡をいただきました。昨日も参上できなかったのに今日までお断りする訳にはいきません」


 ドンッ!


 ヴァルトラムはビシュラのすぐ横の壁を踏ん付けた。
 その一蹴で壁に穴が空き、剥げ落ちた破片がゴロンッと床に落ちた。


「な、何ですかっ」

「何となくムカついただけだ」

「何となくで壊さないでください。庁舎じゃないんですよっ」

「俺に意見か?」


 ビシュラはギクッとした。


「オメェ、まだ自分の立場が分かってねェみてぇだな。ここにいる間はオメェは俺と同じ部屋で生活するしかねェ。俺に逆らったらどんな目に遭うかまだ分からねェのか? あァ?」

「ひっ」


 ビシュラは竦み上がるが、緋は腕組みをしてそれを観察している。


(機嫌いいなぁ、歩兵長。ビシュラさえ捧げときゃあ満足しそうだな)


 ヴァルトラムとの付き合いが長い緋から見るに本日のヴァルトラムは上機嫌だ。会議などは長引いてくるといつもイライラするか居眠りをするくせに、今日は文句の一つも言わずナイフを研いでいた。
 尤も、ビシュラには自分を脅迫する凶悪な顔にしか見えないのだけれど。


 丁度其処へトラジロとズィルベルナーが二人揃ってやって来た。


「先に来ていましたか、緋姐(フェイチェ)。中に入らず何をしているんです?」


 緋は「イヤ、別に」と返した。
 トラジロはビシュラと目を合わせて微かに笑った。


「ビシュラも出てこれましたか。体調はどうですか。朝よりは回復しましたか」


 うっ。純粋に労られると罪悪感。
 朝動くことができなかったビシュラは仕方なく体調不良で欠勤の連絡をせざるを得なかった。トラジロに正直に事実を告げる訳にはいかないから遠回しに言ったが決して嘘は吐いていない。


「は、はい。御迷惑をおかけしました、騎兵長」


 申し訳なさそうな顔をするビシュラにいやいや気にするなと言い、ヴァルトラムに声をかけた。
 ヴァルトラムは面倒くさそうに「あー?」とどうでもよい返事をした。


「ビシュラに無理をさせるのは程々にしなさい。ビシュラにはやってもらわなければいけない仕事がたくさんあるのですよ」


(あああああ~~、絶対バレてる……💦)


 ビシュラは両手で顔を覆って俯いた。トラジロに注意されたくらいでは懲りないヴァルトラムは相も変わらず不貞不貞しい顔をしていた。


 天尊から招集を受けたメンバーは全員揃っている。トラジロは天尊の部屋の扉をノックした。






 「眠り姫」は瞳を開けていた。

 背もたれの縁に花や蔦が装飾された黒を基調としたカウチに、天尊と一人の少女が並んで座っていた。
 見慣れない新緑の衣服を着ており、肩に付くか付かないかのボブの黒髪、夜のような黒い瞳で彼等を真っ直ぐに見る。人目を引くような華美なパーツはないが整った顔立ちは、まだあどけなさを濃く残しており、成人前であることは確かだ。


「ようやく意識がハッキリしてきたみたいだからな、改めて紹介する。アキラだ」


 天尊に紹介され、少女はカウチから立ち上がった。


「はじめまして。アキラと言います。……宜敷お願いします」


 アキラは深々と頭を下げた。
 天尊が呼び寄せた彼等は沈黙してアキラを観察する。アスガルト各地を飛び回ることが主な任務である彼等は、一般的なアスガルタそれ以上にミズガルズに対して関心が無い。学院で習った程度の浅い知識など忘れてしまったし、そもそも覚える気もなかった者もいる。ましてや動いているミズガルダを見るなど初めてのことだ。


 ズィルベルナーはツカツカとアキラの前にやってくると、しゃがみ込んで下からジロジロと観察する。


「へー。見た目は《メンシュ》と全然変わらないんだな」


 アスガルトの住人は、《メンシュ》、《亜人種(ザプメンシュ)》、人型をとらないそれ以外の種族に大別されることがしばしばある。身体的・能力的変異を有さず自発的なネェベルや身体能力によって活動する《メンシュ》は優等種族とされる。
 天尊は《メンシュ》であり、獣耳を持つビシュラや角を有するトラジロは《亜人種(ザプメンシュ)》である。



「これ、つまらないものですが」


 アキラはそう言って、カウチの前のテーブルをスッと掌で指した。
 テーブルの上には彼等が見たことがない「何か」が積み上げられて三角形の山ができていた。一つ一つはブロックのように四角柱の形状をしており、50~60本はあるだろうか。

 隊では博識で通っているトラジロでさえ知らない「何か」。トラジロはテーブルの上の山を指差す。


「総隊長。コレは何ですか?」

「カステラ。手土産ってヤツだ」


 トラジロは「カステラ」と復唱し、腕組みをして更に凝視する。

 天尊は「ビシュラ」と声をかけた。
 チョイチョイと手招きされるままにビシュラは天尊の傍に寄る。三角の山の天辺を一本取って手渡された。


「ミズガルズの菓子だ。美味いぞ。甘いもの好きだろ」

「はい。ありがとうございます✨」


 菓子と聞いた途端ビシュラの顔が輝く。
 心なしブスッとするヴァルトラム。天尊は内心やや勝ち誇っていた。あまり物事に動じないヴァルトラムを簡単に刺激できるのは少々小気味が良い。

 ビシュラはカステラを胸に抱き、アキラに向かって頭を垂れた。


「お目文字叶いまして光栄に存じます、奥方さま。このように丁重なお心遣い、誠に痛み入ります」


 アキラは目を丸くする。今まで温和しそうな印象だった表情を途端に真っ赤に変えた。


「奥方さま!? なっ、なっ?」

「総隊長の奥方さまだとお伺いしておりますけれど……」

「ティエン!」


 アキラは天尊をキッと睨む。


「嫁みたいなモンだろ。お前がまだお前の世界じゃ一緒になれる歳じゃねェから俺は待ってる」

「だからって紹介するのに嫁って……っ」


 アキラと天尊のやり取りを見て、トラジロは内心驚いていた。


緋姐(フェイチェ)、聞きましたか。今、総隊長を『ティエン』と」

「嫁だっていうならおかしかないだろ」


 当然のことだが、三本爪飛竜騎兵大隊において総隊長である天尊を愛称で呼ぶ者などいない。畏怖と敬愛を持って総隊長と呼ぶ。
 アキラが天尊を「ティエン」と呼び、天尊がそれを許容している事実が、トラジロの中で二人の関係性に俄に信憑性を持たせ始める。


 アキラはまだ赤い顔で「とにかく」と仕切り直す。


「わたしは奥方さまではないです。アキラでお願いします」

「ではアキラさま、と?」

「それもちょっと」

「アキラさん?」

「……はい」


 アキラはビシュラを見て、見掛け通りとても礼儀正しく丁寧な人なのだろうと思った。年上からさん付けで呼ばれることは少々むず痒いが、過ぎるくらいに控え目な質のビシュラと他人行儀なアキラではそこら辺りが妥協点であろう。


(フェイ)とビシュラはアキラの面倒を見てやってくれ」


 緋はコクッと頷き、ビシュラは「はい」と返事をした。アキラは大人の女性二人の顔をよくよく確認し、再びぺこっと頭を下げた。


「特にビシュラは《観測所》にいたんだ。ウチじゃ一番人間(ミズガルダ)に詳しいだろう」

「わたしも知識でしか……。本物のミズガルダを見たのは初めてですので、お役に立てますかどうか」

「それでもウチの者のなかでは役に立つほうだ。人間(ミズガルダ)は外見こそ俺等と変わらねェが、俺等ほど頑丈じゃねェのは確かだ。医者(アールツト)に診せたときに、何が害があって何が害がないのかよく分からんのだから食い物やクスリを不用意に与えるなと言われた」


 ヴァルトラムはハッと鼻先で嘲弄した。


「莫迦かよ。手土産なんざ持ってくるぐらいならテメェの食い物持ってくりゃ良かっただろ」


 今度は天尊のほうが小馬鹿にしたように「はぁ~あ」と溜息交じりに笑った。


「《観測所》を通るには検閲がある。チェックに時間がかかるから何種類も持ってくる訳にはいかねェし量も制限される」


 天尊は腿の上に頬杖をつき、横目でアキラを見る。


「手土産は、世話になるからどうしても持って行きたいってアキラの頼みだしなァ」


 アキラだから特別扱いをしたと言っているようなものだ。当のアキラはそれに気付かない振りをして天尊からフイッと顔を背ける。


「テメェの女にゃ甘ェなァ、ロリコン

「アキラは優しい女なんだよ。三回生まれ変わってもクソ人でなしには解んねェだろうけどな」


 ガタッ。

 ガジャコンッ。


 天尊がカウチから立ち上がると同時に、ヴァルトラムも自前の銃を抜いて天尊の顔面に銃口を突き付けた。
 だが天尊はヴァルトラムを真っ直ぐ見据えたまま怯まなかった。真っ直ぐに伸ばした腕の延長線上、銃のバレルの先の天尊と目と目をかち合わせ、ヴァルトラムはニイッと笑う。


「この距離じゃ俺の弾のほうが速ェなァ」

「ンな弾で俺の体貫通できるかよ」

「試すか?」

「やってみろ」


 天尊とヴァルトラムが睨み合う一触即発のムード。
 譬え命懸けになろうとも天尊が本気を出すならヴァルトラムは願ったり叶ったりである。
 しかし巻き込まれる周囲の者はたまったものではない。


「歩兵長、アンタが暴れるには此処は狭い。やめとけ」

「抑えてください総隊長! 内輪揉めで城に被害を出すなどグローセノルデン大公に申し訳が立ちません💦」


 緋は腕組みをして呆れ顔。トラジロとズィルベルナーは天尊とヴァルトラムの間に入って天尊を宥める。


「ティエン。やめて、お願い」


 全員がアキラに目を向ける。
 子どもを諫める母親のように穏やかな口調だった。歳や外見の割にはとても落ち着いていて大人びている。そのギャップが自然とアキラを注視させる。
 天尊に向ける視線も怒りでも焦りでもない。自分が懇願すれば聞き入れてくれると知っている目だ。

 天尊はやや顎を仰角にしてフーッと息を吐いた。ヴァルトラムに対して湧いてきた一過性の怒気を大気中に吐き出している。
 天尊がやる気にならないのなら挑発する意味は無い。ヴァルトラムは興醒めしてしまって銃を下げた。


 ビシュラと緋は明日も天尊の部屋に来るよう指示され、一同は部屋から下がった。





Fortsetzung folgt.

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