小説『ゾルダーテン』chap.04:眠り姫04

 翌日。
 ビシュラと(フェイ)天尊(ティエンゾン)の部屋でカステラを食していた。カステラは彼女たちの口にも合ったようで、次々とフォークを進める。


「もっと硬いのかと思っていたが全然違うんだな。パンよりも柔らかい」

「美味しいです✨」

「そうですか、良かった」


 アキラは安心したようにニコッと笑った。

 カウチはテーブルの辺に沿って垂直に配置されている。一辺にはビシュラと緋が、もう一辺にはアキラと天尊が座っている。
 彼女たちの前にはカステラを乗せた皿、アキラの前には一口大よりも少々大きく切られた橙色の物体を乗せた皿。切り口は潤い、フルーツの瑞々しさを思わせる。
 アキラはそれをフォークで刺し、口へ運んでカリッと囓って食べる。


「アキラさんはイカクの実がお好きなのですか?」

「好きというかティエンがコレしか食べるなって」

「今のところ害のない食い物ってのがイカクくらいしか分からなくてな」


 カウチの肘掛けに凭れかかっていた天尊は上半身を引き上げた。


「かと言ってコレばっかり食わせてる訳にもいかねェしな。他にもミズガルダが食えるもの知ってるか? ビシュラ」


 天尊の質問に答える為に素早くもぐもぐと動かして口の中のカステラを急いで飲み込んだ。


「アスガルトの食べ物がミズガルダに及ぼす影響にはあまり詳しくなくて。個体差でアレルギー反応が出るかも知れませんし、まずは色々なものを少量ずつ召し上がってみてはどうでしょう」


 天尊はアキラの横顔をじっと見る。少量といえども毒とも知れないものをアキラに与えることを躊躇している。
 ふと天尊と目が合うとアキラは小首を傾げて安心させるように微笑んだ。天尊が心配そうにしていることを汲み取ったのだ。この男は機微などほとんど表情に出さないというのに。


「ちょっとならきっと大丈夫だよ。ティエンだってわたしが作ったもの食べても何ともないじゃない」


 大丈夫でなければどうなる。もしも毒を引いてしまったらどうなる。人は皆、当たりクジを引こうと思って外れクジを引いてしまうものだろう。
 もしもの懸念をしていては話が一向に進まないことは分かっているが一抹の不安が拭えない。天尊はスッキリしない表情で溜息を吐いた。


「イカクの実が大丈夫なのでしたら、ニシャやホーキュなども召し上がることができると思いますよ」

「栄養になるモンを食わせたいんだが。そんなモンばっかじゃ体が弱る」

「肉とパンを食わせてみればいい」


 緋にそう言われ、天尊は眉間に皺を寄せて難しい表情をする。


「肉は……消化できるのか? ミズガルダは消化器官も俺等と同じなのか? もし消化できなかったら……」

「食わせてみなきゃ分からないっつってんだろ」


 緋はややうざったそうに言い放った。緋の知る総隊長はこんなに心配性の男ではなかった。ギャップが大きすぎて違和感が拭えない。


「ふあ」


 欠伸が出てしまったアキラは、ビシュラと緋を見て「すみません」と一言。


「眠たくなってきたか、アキラ。全部は食えないなら残していいぞ」

「ごめんなさい。まだ眠気が凄くてちゃんと起きてられなくて」


 アキラはビシュラと緋に対し申し訳なさそうな顔をする。
 カチ、と皿の上にフォークを置いてカウチから立ち上がった。天尊に肩を支えられてドアに隔てられた奥の寝室へと入っていた。





   §§§§§





 アキラの様子を確認する為に天尊の部屋へと日参し、その後ビシュラは騎兵隊の元へ、緋は歩兵隊の元へ合流するというスケジュールを数日繰り返した。
 ビシュラたちもアキラも自分たちの世界のことについてあまり真剣ではないお喋りを交わして人となりを知りながら、少しずつ食べることができるものを増やしていく。
 アキラは話の通じない子どもでもなければ全く自分のことができないという訳でもないので、アキラの相手自体は疲れるものではなく大した負担ではなかった。負担どころかビシュラはアキラの許へ日参することを楽しんで生き生きしているようでさえある。


 ビシュラは歩兵隊が騎士団と訓練に励んでいる訓練場へやって来ていた。
 訓練場には彼等が此方まで乗ってきた乗り物が停車してある。武器や防具などかさばるが訓練に必要な装備を取り出しやすいようにだ。

 車輪の無い荷台を見付けた。前の車に牽引される荷台、それ自体は反重力装置を作動させて地面から浮く仕組みになっている。停車中に荷台が接地しているのは不思議なことではないが、訓練場の床に引き摺った跡が残っている。


「あ、マクシミリアンさん」


 ビシュラは丁度通りかかったマクシミリアンを呼び止めた。


「あの車、反重力装置の出力をもう少し上げたほうがよいのではないですか。故障ですか?」

「あれで出力全開だよ」

「えっ。あんなに沈むって、そんなに重たいものを積んでいるんですか?」


 マクシミリアンは「ああ」と頷いた。


「歩兵長の戦闘用ブーツだ」

「ブーツ!?」


 ビシュラの驚いた反応が新鮮だったからマクシミリアンはハハッと笑った。
 ヴァルトラムのブーツがとんでもない重量であることは三本爪飛竜騎兵大隊(リントヴルムリッター)の者なら既に皆知っている。無論、最初に聞いたときは皆一様に驚くのだが、新人が入ってくるのは久し振りだったから反応が珍しく見えた。


「普段用のでも俺たちには持ち上げるのも一苦労な重さだが、戦闘用のブーツは特殊装甲の超重量。歩兵長以外には扱えたモンじゃない」


 反重力装置はそもそも重量の大きなものを運搬する為に利用される。その限界を超える荷重のものを人が扱うなど考えたこともない。
 ビシュラは唖然として口を半開きにする。


「何故そんなに重たいものをお使いになるんですか? 動きにくいのでは……」

「歩兵長に重さなんて関係ねェよ。手持ちの得物が無くなったときに代わりを探すより蹴り殺すほうが手っ取り早ェだろ」


 ああ、頭がクラクラする。常識を超えている。
 ここではそれが当たり前なのだ。ヴァルトラムは当たり前のように常識を超越した力を発揮する






 緋と話していたヴァルトラムはピクッと何かを感じ取って顔を上げた。


「ビシュラじゃねェか。訓練なんかしねェクセにこんなところで何やってやがる」


 訓練場の広い空間で男たちの汗や体臭も混じる中、ビシュラのにおいを確実に嗅ぎ取るなどやはり恐るべき嗅覚。


「訓練はしなくてもトラジロとのつなぎとして色々忙しいんだろ。怪我したヤツの手当もやってくれてる」


 緋はヴァルトラムが見ている方向を振り返り、ビシュラの姿を見付けた。マクシミリアンと何か話している。


「昼間はアキラの相手をして、その後仕事だ。本当ビシュラはよく働くよ」

「ああ、総隊長の女か。ガキのお守りじゃねェか。アイツもつまんねェことやらせやがる」

「アキラの世話をすることはビシュラにとってはいいことだと思うぞ」


 緋の意見はヴェルトラムには理解できなかった。片方の目を大きくして「どういうことだ」と訊ねた。


「解らないか? 文官上がりが戦闘や訓練じゃ物の数に入らないことは当たり前のことだし、アタシたちも期待なんてしちゃいない。だがビシュラはそれにコンプレックスを感じている。みんなの中で自分一人だけができないんだ、当然だろう」


 そういう考え方はヴァルトラムには理解しがたいことなのだろう。変わらず得心の入っていない顔をしている。
 人の感情を汲み取ることなどヴァルトラムには期待できない。緋はそんなことはとうに知っている。


「総隊長の役に立てるのはやり甲斐があるだろうさ」

「アイツの役に、なァ」


 独り言のように零して黙り込んだヴァルトラム。
 緋はヴァルトラムの顔をジーッと観察する。常時何を考えているか分からない男だが、緋にはたった一つ分かっていることがあった。


「ビシュラじゃアンタの役に立つのは難しい。総隊長に張り合うぐらいだったら一言必要だって言ってやれ」


 ビシュラが天尊に従順であればあるほど、天尊がビシュラに構えば構うほど、ヴァルトラムは機嫌が悪くなる。ビシュラが上官に従順であるのも総隊長である天尊が年若い女性隊員を気にかけてやるのも当然のことなのに。


「張り合うって何だ」

「……張り合ってないつもりか?」

「だから何のことだ?」


 緋は天井を仰いでフーッと溜息を吐いた。


(無自覚か。面倒臭い)





   §§§§§





 ビシュラは眠りに就く前に本を読むのが日課だ。
 いつも一つ結びにしている長い髪を解いた寝着姿でベッドに入る。横になるのではなく足を伸ばして座る。太腿を書見台代わりにして本を開き、昨夜読んだ箇所までページをパラパラとめくる。

 沈黙して物語を読み進めていたが程なくしてコクリコクリと前後に船を漕ぎ始めた。
 髪の毛をツンツンと引っ張られ目を覚ます。犯人は隣で横になっているヴァルトラムだ。ビシュラはヴァルトラムのほうを見て「何ですか」と小首を傾げた。


「ガキのお守りはどうだ」

「アキラさんのことですか?」


 ビシュラは本を閉じた。頭の中にアキラのことを思い浮かべる。


「食べられるものは徐々に増えていますよ。ただ、アキラさんは今でも半日以上は眠ってしまいます。まだ完全にはお体がこちらに慣れていないようです」

「元々こっちにはいねェ生き物なんだ、当たり前だな」

「そういえば明日は総隊長が訓練場にお越しになるそうですよ。アキラさんも御一緒なさるそうなのでわたしも参ります」

「アイツァ今までガキにベッタリだったクセに急にどうした」

「フェイさんが、そろそろ総隊長にも訓練に参加していただなくては困ると。騎士団の皆様は総隊長にも御指導いただくことを首を長くして待っていらっしゃるようで」


 ヴァルトラムは捕まえたビシュラの髪の毛を親指の腹で撫でる。糸のような黒い髪がスルスルと指を擦り抜ける。


「毎日毎日ガキのお守りで疲れねェか」

「そんなことありません。アキラさんはとても賢い方ですよ」

「アイツからガキのお守りを任されてるクセに毎日訓練場をウロチョロしてるのは何でだ。忙しそうに何してる?」

「訓練場では怪我人の手当のお手伝いを」

「治療はできねェんじゃなかったか?」

「わたしができるのは学院(ギムナジウム)で習うプログラムだけです。応急処置程度ですよ。道具を使うような高度な治療はできません」


 またクンッと髪を引っ張られた。ビシュラはヴァルトラムのほうに視線を移動させる。


「何でオメェが手当してやる必要がある? 訓練で怪我するなんざ自業自得だ。死ぬような怪我でもあるまいし、放っときゃ勝手に治る」


 ビシュラは眉尻を下げて困ったように笑った。


「わたしには他にお役に立てることがありませんから。実戦部隊の三本爪飛竜騎兵大隊(リントヴルムリッター)にいながら戦えないなんてわたしだけです……」


 この身は懦弱にして貧弱、誇れるものの少ない身。周りを見渡しては己を恥じてばかりいる。
 だから与えられた役割を全うしたいと思う。与えられた役割以上の働きをしたいと思う。自分がここにいる理由を正当化する為に。何故此処にいると、お前なんか要らないと、排除されてしまわない為に。


「そうでもねェ」

「歩兵長?」

「俺から見りゃオメェ以外の野郎共もクソ弱ェ使えねェヤツだらけだ」


 ヴァルトラムは巨きく硬く迅く強い。
 戦闘を生業とする者ばかりが集まる実戦部隊・三本爪飛竜騎兵大隊においてもその実力は天尊以外には肩を並べようがないほど突出している。だから魔物と怖れられながらカリスマ性を持ち権力を有し、崇められる。
 ヴァルトラム程の男にしてみればビシュラもそれ以外も大差ないということだ。

 そうは言ってもビシュラが笑顔満面になることはなかった。ヴァルトラムにとってはそうでも、ビシュラにとっては大きな違いだ。自分が変わらなくてはこの劣等感が無くなることはない。



 ――――「総隊長に張り合うぐらいだったら一言必要だって言ってやれ」

 晴れないビシュラの顔を眺めていると緋の言葉を思い出した。
 ヴァルトラムには到底理解できない小心者の心根。どうやら緋の読みは当たっているらしい。

 ああ、何とも面倒臭いことだ。他者と比べて自分には何ができて何ができないなどと逐一分析して挙げ句、己を卑下して遮二無二働いていないと不安になるなど。余計なことは考えずに自分のしたいことだけをやればいいのに。


「必要ねェんだったら傍に置いたりしねェ。オメェはこの俺が連れてきたんだ。余計なこたァ考えずにここにいろ」


 それができたらどんなにか。

 何も考えずあなたの傍にいてあなたに愛されるだけの存在になれるならどれほど幸福な女であろうか。


 嗚呼、こんなにも無力ならば

 いっそのこと愚かになってしまいたい。





Fortsetzung folgt.

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