小説『ゾルダーテン』chap.04:ヴィンテリヒブルクの姫君02

 お茶の支度が調うまで、招待客は前室で待つように言われた。
 前室もこれから通されるであろう応接間もユリイーシャの私室の一つ。前室だけで客室同等の広さはあり、隊員たちが寝泊まりしている宿舎とは比べようもない。


 ユリイーシャに招かれたのは五人。まずは天尊(ティエンゾン)とアキラ、そしてあの場にいた(フェイ)とヴァルトラムとビシュラ。

 中でもビシュラは見るも明らかにガチガチに緊張していた。
 アスガルトでも屈指の宏大な領地を有する大公の令嬢、つまりとびきりの貴人――――お姫様の姿を直接拝謁しただけでも光栄なのに、そのティータイムに招待されるなど気が引けて当然だ。
 ユリイーシャ本人は自分の身分を鼻にかける素振りのない気さくな人物のようであったが。


「お姫さまとお茶を御一緒するのに、ほ、本当に普段着でよいのでしょうか」

「本人がいいっつってんだからいいんだろ」


 ヴァルトラムはあっけらかんと言い放った。
 この男は遠慮や緊張などとは無縁。貴人のプライベートな領域であるこの場においても何も気にしてはいない。だがビシュラの反応のほうが至極まともなのだ。


「大丈夫だ、ビシュラ。ユリイーシャはそういうことを気にする性格じゃない」


 ヴァルトラムだけではなく、緋も全く緊張している様子はなかった。寧ろ落ち着いて慣れている風でさえある。
 ユリイーシャが直接声をかけたことにしても少なからず面識があるようだ。


「フェイさんはユリイーシャ姫さまとお知り合いなのですか?」

「アタシが、というよりアタシの姉がな」

「フェイさんにはお姉さまがいらっしゃるのですか」


 緋は短く「ああ」と答えた。


「姉とユリイーシャが幼馴染みみたいなもので子どもの頃から仲が良くてな、それでアタシも昔からユリイーシャを知ってる」

「ということはフェイさんのお家は相当な御身分の」

「フェイは貴族の娘だ」


 答えたのはヴァルトラム。吃驚したビシュラはピンッと背筋を伸ばした。


「そうだったんですか!?」

「そうだったんだ。意外だろ」


 緋は冗談みたいに返したが、ビシュラは信じられないという顔で口をポカーンと開ける。その顔が可笑しくて緋はフハッと吹き出した。


「どうして今まで教えていただけなかったのですか?」

「わざわざ宣伝して歩くようなことじゃないだろ。それに、三本爪飛竜騎兵大隊(リントヴルムリッター)じゃ貴族かどうかなんて意味の無いことだ」


 総隊長である天尊が敷いた隊の掟は、実力主義。出自・経歴は問わない、年功序列もない、身分の貴賤もない。身の丈以上に己を蔑む必要も、尊ぶ意味もない。
 だから力以外には何も無い、人性さえも疑わしい、「人でなし」のヴァルトラムのほうが緋よりも上位に立っている。人間性は遙かに緋のほうが優れているのに、だ。
 だが緋もそれに反感は無い。実力こそが人の上に立つ一番の指標だと信じているからだ。






 それほど長い時間を待つこともなく姫付きの使用人に中へと通された。
 客間にはユリイーシャが立って待っていた。「お待たせしてしまってごめんなさい」とお辞儀をしてにこやかな挨拶。

 大きなテーブルを皆で囲んでティータイムの始まり。
 それぞれの前には繊細な花の絵柄が施されたティーカップ。天尊やヴァルトラムが少々力加減を間違えたら折れてしまいそうだ。
 テーブルの中央には掌の大きさに膨らんだふわふわの菓子、赤や橙のドライフルーツの乗った焼き菓子、黄や緑のゼリー菓子が色とりどり並べられている。きっとどれもこれも普段ではなかなか口にすることができない高級品。

 ずらりと並べられた菓子に正直ビシュラは胸が高鳴った。甘いものは大好物だ。部屋に漂う甘い香りだけでうっとりしてしまう。
 そんなビシュラをジーッと見詰めるヴァルトラム。子どもみたいに夢中になって頬をほんのり桜色にして目を輝かせている。


「食い物に釣られやすいヤツ」


 ビシュラはハッと我に返ってヴァルトラムの顔を見る。


「わたしはそんなにいじましくありません」

「嘘吐け。耳が出そうなくらい嬉しそうなツラしてたぞ」

「みっ、耳のことは言わないでくださいッ」


 アキラは首を傾げて隣に座っているビシュラの顔を見る。


「耳?」

「いえっ、何でもないんです。お気になさらないでください、アキラさん」


 ビシュラは慌てて両手を左右にひらつかせる。獣耳のことを知る人はできるだけ少数がよい。勿論アキラにもできれば知られたくない。この耳の所為で折角の良好な関係が崩れてしまったら嫌だ。


「折角のお茶が冷めてしまいますからお早くどうぞ、歩兵長」

「俺ァ酒がいい」

「俺も」


 この男たちと来たら……。
 ティータイムに招待されておきながら大変失礼なことだが、天尊もヴァルトラムもお茶に手を付ける気はなさそうだ。


 ユリイーシャに「さぁどうぞ」と勧められたアキラ。ビシュラのほうに顔を向ける。勧められたのに全く手を付けないというのも失礼だろうと思って。
 思うがままに食事をすることが叶わなくなってから、これが自分にとって害のないものかどうかビシュラの表情を伺うのが半分癖のようになってしまった。
 ビシュラもアキラから向けられる視線を理解し、今度は吟味する意味で並べられた菓子を眺める。


「こちらの実が付いている分は少し気になりますね。何も付いてないほうは召し上がってよろしいと思いますよ」

「ありがとうございます、ビシュラさん」


 ビシュラはアキラが食べられそうな菓子を小皿に取り分け、アキラの前に置いた。
 ユリイーシャは頬に手を当てて「あらあら」と零した。


「そちらのお菓子はお嫌いでしたかしら? 別のものを用意させましょう」


 アキラは慌てて首を左右に振る。


「嫌いじゃないんです。ただ、わたしが食べられないだけで……ごめんなさい」

「好き嫌いじゃねェ。アキラは食べられるものが限られてるんだ」


 申し訳なさでアキラはしゅんと肩を落とす。それを慰めるように天尊はアキラの肩を抱き、頭を寄せる。


「まあ、お可哀想に。食べ物に制限があるなんて、お体があまり丈夫でいらっしゃらないのね」

「そういう訳でもないんですけど、体質的にっていうか、食べちゃいけないものが少し多いぐらいで体は健康なんです。……と、自分では思ってます」

「そう。お体は爽健ですのね。それは良かったですわ。とても、良いことですわ」


 何故か噛み締めるように何度も言う。若い体が健康であることなど、そんなに珍しいことではないだろうに。
 ユリイーシャと話している間もアキラに纏わり付く天尊。流石に気恥ずかしいし鬱陶しくなってアキラは「もー」と言って天尊の胸を押し返す。だが天尊は離れようとはせずアキラの肩から腕を退けない。

 アキラと天尊を見てユリイーシャはクスクスと笑う。


「ティエンゾン様ととても仲睦まじくいらっしゃるのね」


 天尊は「オウ」と返してアキラをグイッと引き寄せる。アキラが懸命に広げた距離を一瞬で無にできる。これが腕力だ。


「いたい、いたい。ヒゲが痛いよ、ティエン」


 天尊の無精髭が額に刺さって痛い。伸ばしていない髭というのはどうしてこんなに硬い物なのだろうか。


「ティエンゾン様。お伺いしたいのですけれど、その仲睦まじいお嬢さんとはどういう御関係なのです? 御父様もとても気になさっていらっしゃいましてよ」


 天尊は普段見せない笑顔満面で更にアキラを力強く抱き寄せる。


「俺の嫁だ」

「ティエン!」


 性懲りもなくこの男は。アキラは天尊の腹に肘をめり込ませる。


「何でそういう紹介しかできないのっ」

「怒るなよ。嘘は言ってない」

「まだ結婚してないんだから嫁じゃない。今は嘘だよ!」

「俺は今すぐにでもアキラを嫁にしたい」


 頬にキスしようと近付いてくる天尊の顔を、アキラは掌で阻止。初対面の人の前でそんなことできるものか。

 ビシュラはヴァルトラムに顔を近付け、口許に手を添えて小声で囁く。


「なんだか……性格が変わられましたね、総隊長」

「ハッ」


 ヴァルトラムは小馬鹿にしたように鼻先で笑った。
 緋は我関せずという顔で紅茶のカップを傾ける。
 名実共に三本爪飛竜騎兵大隊の総隊長たる天尊が愛に恋にと現を抜かしているのは果たして良いことか悪いことなのか。
 異性問題が絶えないというのも褒められたことではないと思っていたが、年端もゆかない少女に骨抜きになっているのも如何なものか。こうなってみると浮き名を流していた頃のほうがそれらしいとさえ思える。


「まあまあ、ティエンゾン様が結婚をお考えになるなんて。それでは私の妹になるのね。こんなに可愛らしい方が妹になるなんて嬉しいですわ」


 妹?
 ユリイーシャの言っている意味が分からないアキラはそのまま聞き返してしまった。


「ユリイーシャは俺の兄貴の婚約者だ」


 アキラはぽかーんと口を開けて天尊のほうに顔を向ける。


「じゃあティエンのお姉さん?」

「その内な」


 天尊はあっけらかんと言い放った。
 アキラは両手で顔を隠して「あああああ~」と呻く。未来の姉の前で密着してベタベタしている(されている)などなんという醜態を晒してしまったのか。恥ずかしすぎる。もうそんなにキラキラした目で見ないでください。


 ユリイーシャに「アキラ様」と呼ばれ、アキラは顔を上げる。本当は顔など見ずにこの場から消えてしまいたいのだけれど。


「アキラ様に伺いたいことがあるのですけれど」

「はい。何ですか?」

「ティエンゾン様のお好きなものを御存知かしら? アキラ様」


 言われてみると何だろう。アキラはふと天尊の顔を見上げる。


「ティエンの好きなモノ……」

「握り飯」

「こっちの世界に無いもの答える意味、無いと思うんだけど」


 ユリイーシャは「ニ・ギ・リ・メ・シ」と一音ずつ確かめるように発音してみたが分かる訳も無くやや首を傾げる。
 好きなものを訊くくらいだから目的はそれを用意するとか似てる物を探すとかだろうから、この世界に存在しないものを答える意味はやはり無いのだ。


「では、嫌いなものは御存知?」


 アキラはまた天尊の顔を見て「うーん」と唸る。


「嫌いなものですか。ティエンは何でも食べるからなぁ。嫌いなもの、ある? ティエン」

「アキラの作るモンは何でも美味い」


 そういう意味ではないと思うのだけれど。アキラでも分かることを天尊が分からないはずがない。ユリイーシャからの問いを茶化しているのだろう。
 アキラはユリイーシャのほうに顔を引き戻した。


「あの、どうしてティエンに直接訊かないんですか?」


 未来の姉と弟。何に遠慮することなく会話して質問すればよいだけなのに何故わざわざアキラを経由するのだろう。しかも質問の内容も今更過ぎる。まるで初対面の人物に対するそれのようだった。





Fortsetzung folgt.

このブログの人気の投稿

2015年お年賀イラスト

【配布】Growth Record Template

小説『ゾルダーテン』chap.01:善良な娘