小説『ゾルダーテン』chap.01:苛立ち

 三本爪飛竜騎兵大隊(リントヴルムリッター)庁舎トレーニングルーム。

 ビシュラが派遣期間を終えて隊から姿を消して数日が経った頃、天尊(ティエンゾン)は或る噂を耳にした。トレーニングルームに足を運んだのは、その真偽を確かめる為だ。
 天尊のお目当ての人物は暇があればトレーニングルームに入り浸っているはずだ。

 僻地のベースと違い、庁舎のトレーニングルームには機材が揃っているし広さも何倍も広い。隊員たちも多く集まっており、天尊は室内を見回して人物を探す。


 ズダァンッ!


 視界の外で衝撃音。
 そちらを一瞥することもなく天尊はスッと横に避けた。


「いってぇ~!」


 案の定、男が吹き飛ばされてきて背中から壁に激突した。
 片膝を突いた男は自分の背中を押さえながら天尊に非難がましい目を向けてくる。


「何で避けるんだよ総隊長! 受け止めてくれたっていいだろ」

「何で俺が男なんか受け止めなくちゃいけねェんだ、気持ち悪ィ」

「それがかわいい部下に言う言葉かよっ」

「俺よりデカイヤツは可愛かねェ」


 天尊は変わらず彼に目を遣ることもなく、彼を吹き飛ばした人物のほうへ顔を向ける。
 天尊よりも大きな男を吹き飛ばせる人物、それは天尊が探している人物に相違ないからだ。


「珍しくイラついてるな、ヴァルトラム」


 認めたくないのか何なのか、ヴァルトラムはその言葉を聞き流した。

 噂の主はヴァルトラム。
 天尊の耳に入ってきた噂は、このところヴァルトラムの不機嫌が続いて荒れており、力任せに設備や備品を破壊したり、実力差も考えず手当たり次第にトレーニングの相手をさせるものだから怪我人が絶えず隊員たちが被害を被っているというのだ。


「ズィルビー相手にストレス発散か」

「ンな相手にもなりゃしねェ、こんな弱っちいガキじゃあな」


『ズィルベルナー』
 三本爪飛竜騎兵大隊(リントヴルムリッター)騎兵隊所属二位官。
 長い銀髪と尖った耳がトレードマーク。肌の色が比較的白くヴァルトラムにはよくひ弱扱いされるが、袖から出た腕は筋肉が盛り上がり、がっしりした体格をしている。
 天尊よりも長身であり二位官という地位を得ているが、実は見掛けよりもかなり精神面が幼く、年下のトラジロよりも少年っぽく感じられるほどだ。



 ズィルベルナーは急いで立ち上がり、不服そうにヴァルトラムをビシッと指差す。


「軽く流すだけだって言ったのに加減無しとかズリーだろ!」

「あー? 加減はしてやってる」

「人吹っ飛ばしといて何言ってんだ!」

「あんくれぇで吹っ飛ぶテメェが弱ェっつってんだ」

「アッタマきた💢 本気でぶっ飛ばす!」


 天尊はスッと一歩前に出てズィルベルナーにフラッと手を振った。
 それは長年躾けられた「静かにしろ」という合図。ズィルベルナーはヴァルトラムを睨んだままブスッと口を尖らせる。

 天尊はスタスタと歩いて行きヴァルトラムの前で足を止めた。


「俺もストレスは溜まる前に発散するほうだが、謹慎明けで張り切りすぎるな。折角くっついた傷が開くぞ」

「こんなモンでどうにかなる程ヤワじゃねェ。ストレスなんざ知ったこっちゃねェが、オメェが相手になってくれんならコイツよりはスッキリするだろうぜ、総隊長」

「生憎と俺は今ストレスは溜まってない」


 挑発したところで天尊には躱されるだろうとは思っていた。ヴァルトラムはケッと言い捨てた。


「話がある。ズィルビーをイジめるのは程々にして俺の部屋に来い」





   §§§§§





 天尊が自分の部屋のデスクについて十数分後、ヴァルトラムが現れた。
 この部屋の主であり総隊長である天尊にも、今日も不機嫌そうにしているトラジロにも何も言わずにソファに腰掛けた。そして大股開きでソファに沈み込んだ。この部屋に初めてビシュラが訪れた時のように。

 この男が呼ばれて温和しく部屋に現れただけでも随分と殊勝だと、天尊は思っていた。
 気性は楽観主義の快楽主義者、己の欲望と本能にのみ忠実であり、時には総隊長である天尊の命令を無視することすら厭わないから隊でも突出した厄介者なのだ。
 そんな男が不遜な態度ながらも黙って座している。何を待ち構えている。「話がある」と呼び出された時点で自分にとって面白可笑しい展開でないことには勘付いているだろうに。


「まどろっこしいのはナシだ。単刀直入に訊くぞ。ビシュラと何があった」

「…………」

「隠しても意味ねェぞ。ビシュラがいなくなってからお前が随分と荒れているのは見れば分かる」

「…………」

「じゃあ質問を変えてやる。何でビシュラにこだわってる? 世間知らずの文官娘なんざお前の趣味じゃねェだろう」

「…………」


 天尊の追求を無視する不遜さにはトラジロのほうが苛立った。


「いつまでもだんまりが通用するとは思わないことです、ヴァルトラム。貴男がやったことはこちらは全て知っています」

「だろうな。フェイのヤツが報告したんだろ」


 不遜どころかあまつさえ鼻で笑いおった。その厚顔さに呆れる。トラジロはしばし呆気に取られてしまった。


「別に懲罰が恐くてだんまり決め込んでる訳じゃねェ。何で拘ってるなんざ訊かれても答が出てこねェだけだ」

「理由は、ねェのか? お前みたいな男が理由も無く小娘一人に拘ってるってか?」





 理由。

 理由があるとしたら

 アイツが生きて動くから。


 アイツが心臓を動かして息をして声を発する、
 その全てが欲しいからだ。


 俺の知らねェところでアイツが好き勝手に動いてるのが気に入らねェ。
 俺の手が届かねェところなんざねェと思い知らせなきゃ気が済まねェ。


 たまにアイツの声がする。
 姿なんざねェクセに声だけが。
 それが最高に俺を苛つかせる。

 アイツがこの世から消えて無くなれば俺の苛つきも無くなるに違いねェ。

 俺の手に残された一本の剣で
 白くて薄い肌に俺のモンだと刻み込んで啼かせてやりてぇ。

 あの声で。





「俺ァアイツが欲しい。どうやったら手に入る」


 ヴァルトラムの言葉を聞いてトラジロは顔色を変えた。


「アンタ馬鹿ですか!!」


 トラジロが大声を張り上げ、天尊はやれやれとばかりに指で額を押さえる。


「煩ェ。ヒステリーか」


 ヴァルトラムは小馬鹿にするように鼻で笑った。


「女が欲しければ歓楽街へでも馴染みの風俗へでも行きなさい。軽はずみに《観測所》の所員を欲しいなどと言うものではありません。ウチと《観測所》の関係をややこしくするつもりですか。しかもビシュラはイヴァン様が直々に御指名なさるほど覚えがいい優秀な所員。貴男が彼女にしたことがイヴァン様に知れたら何と申し開きしても許されるものではありません!」

「申し開き、なァ」


 ヴァルトラムは他人事のようにトラジロの言を反復した。その緊張感のなさにトラジロの肩がわなわなと震える。


「真剣に聞きなさいヴァルトラム!」

「じゃあー……ビシュラがそのイヴァンってヤツの部下じゃなきゃあ文句ねェんだな?」

「は?」

「正式に俺の部下にする。既に入隊試験はパスしてんだ、問題あるか?」


 トラジロの中で「ぶちっ」と何かが千切れたような音がした。


「最大の問題はアンタが莫迦だってことですよ!!💢💢」


 トラジロの顔面は怒りで真っ赤だった。天尊のデスクから一冊のファイルを取ると、ヴァルトラムの前のテーブルに強く叩き付けた。


「一番欲しいのはこれの説明です」


 ヴァルトラムは目だけを動かしてそれが何であるか確認した。


三本爪飛竜騎兵大隊(リントヴルムリッター)歩兵隊長の名前で《観測所》へ複数の書状を送っていますね。どれもビシュラのウチへの異動を要請するものです。勝手にこのようなことをしてどういうつもりです」

「それが正規の手段だっつーもんだからよ、フェイのヤツが」

緋姐(フェイチェ)が、貴男に協力しているというのですか?」


 トラジロは驚いて一瞬ポカンとしてしまった。ビシュラとの一件があったときあんなにも誰よりもヴァルトラムへの怒りを露わにしていた緋が知恵を貸すなど俄には信じられない。


「確かにお前らしくない手だ」


 だが天尊は得心がいった様子だ。ヴァルトラムが頭を使って小賢しい嘘を吐くような性分でない以上、必要以上に考えを巡らせるのは徒労だと悟っている。


「これで質問は全部か」


 ヴァルトラムはソファから立ち上がった。そして勝手に部屋の出口へと向かう。
 トラジロが「待ちなさい」と声をかける前にクルッと振り返った。


「俺の邪魔はすんなよ。邪魔すんなら只じゃおかねェ」


 ニヤリと笑ってそう言い残し、バタンと扉を閉めた。

 残されたトラジロの肩が釈然としない怒りにブルブルと震えている。天尊は「マズイ」という顔で眉間に皺を刻む。


「こッの大馬鹿野郎~~~💢!! アンタなんか《ウルザブルン》に訴えられて監獄行きになればいいんですよッ!」


(ヴァルトラムじゃねェが、トラジロのこのヒスだけはどうにかならねェもんか……)






 総隊長執務室を後にすると、ヴァルトラムはその足で自分の本拠地である歩兵隊第一室へと向かった。
 そこには思った通り緋がいた。


「どうだった」

「どうもこうもねェ。チビが喚き散らしてただけだ」

「確かにトラジロの怒鳴り声が響いてたな。内容までは聞き取れなかったが」


 総隊長執務室と第一室は距離的には近いが分厚い壁を越えて声が響くなど相当な怒声だ。しかしトラジロが怒鳴り声を張り上げることなど珍しいことではないので、今更さして気にも留めない。


「マックス。俺のブーツは」

「普段用のは仕上がって来てます。歩兵長のデスクに置いてます」


 ヴァルトラムは早足で緋の後ろを抜けて自分のデスクへ。


「フェイ、付いてこい。出るぞ」

「何処へ?」

「《観測所》だ」


 それを聞いて緋は少し笑った気がした。待ってましたとばかりにニヤリと笑った気がした。


「やっぱり回りくどいのは性に合わねェ。俺のやり方でやる」





Fortsetzung folgt.

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