小説『ゾルダーテン』chap.04:ヴィンテリヒブルクの姫君03
アキラの質問は少々ユリイーシャを困らせてしまったようだ。眉尻をやや引き下げて苦笑する。
「ティエンゾン様は私が伺っても答えてはくださいませんもの」
「?」
アキラが様子を伺うと天尊は否定もせずツーンとしていた。不機嫌ではないが愛嬌もない。
アキラが感じている違和感をビシュラも感じていた。なんとなくヴァルトラムのほうを見た。
カップを持ち上げ、鼻を近付けてスンスンと匂いを嗅いでいるヴァルトラム。紅茶に好みがある訳でも含蓄がある訳でもない。その行動は野生動物が口にしても大丈夫なものかどうか確認しているのと大差ない。
「歩兵長は御存知ですか? 総隊長の好き嫌い」
ビシュラに話を振られヴァルトラムはユリイーシャを一瞥した。
「アイツの嫌いなモンは、ソイツみてぇなとろくせー女だろ」
「歩兵長ッ!💦💦」
ビシュラは努めて小声で尋ねたのに、ヴァルトラムは何も気にせず普段の音量で答えた。
ユリイーシャは穏やかに「よいのですよ」と一言。紅茶のカップを持ち上げ一口飲んだ。それから茶色の水面に目を落とす。
「ティエンゾン様が私のことをどうお思いか、自分でも分かっておりますもの。ティエンゾン様はリーン様の弟君ですから仲良くしたいと思っているのですけれど、昔から私のことはあまりお好きではいらっしゃらないみたい」
天尊は何も言わなかった。ここは建前だけでも、いいえそうではないと言うべき場面だと思うのだけれど。
「昔からっていうと、子どもの頃のティエンを知ってるんですか?」
「勿論ですわ。私とティエンゾン様の御兄様のリーン様は生まれる前からの婚約者ですもの。幼い頃リーン様の元へ参上した折、ティエンゾン様とも度々お目にかかりましたわ。その頃からよく悪戯されたので恐らく好かれていないだろうと思っておりました」
「悪戯ってどんな?」
「そうねぇ……。覚えているのはドレスを剣で突き刺されたり、大好きな本を暖炉にくべられたり、リーン様からいただいたプレゼントを窓から放り投げられたり、ですかしら」
(ソレって悪戯のレベル……?💧)
なかなか壮絶な悪戯をしていらしたんですね、総隊長。
子どもの頃の話だから今更責めるようなことではないが、幼い天尊は何を思ってこのような美女に悪戯をしていたのであろうか。幼い頃はさぞかし愛らしい少女であっただろうに。
「安心しろ、ユリイーシャ。俺は別にお前のことを嫌ってる訳じゃねェ。そんなに好きじゃねェだけだ」
歯に衣着せない発言。ビシュラはギョッとした。
アキラは眉を逆八の字にして腕を振り上げる。
「こらぁ! 何でそんな意地悪言うのっ」
「本当のことだ。嫌われてると思って暗い顔してるよりスッキリしていいだろ」
「言い方が意地悪だよっ」
「俺が兄貴の女に優しくしなきゃいけねェ義理はねェ」
「ティエン~~」
肩を怒らせるアキラ。天尊がユリイーシャに棘のある言い方をしているのは明らかにわざとだ。特定の女性に敢えて優しくないなどアキラには看過できない。
「あらあら、ケンカはいけませんわ」
「俺もお前のことぐらいでアキラとケンカしたくない」
「そうだ」とユリイーシャはアキラの顔を見る。天尊に無視されても邪険にされても全く気にしない寛容さは純粋にすごいと思う。
「明日お出かけでもなさったら如何です? 仲直りも兼ねて」
「まだケンカしてねェ。お前のことなんかでケンカなんかしねェ」
「だいぶ吹雪が弱まってますの。明日には雪が已むそうでしてよ。晴れ間が見えればきっとアキラ様のお心も穏やかになりますわ」
「だからケンカしてねェっつってんだろ。勝手にケンカしたことにするな」
「ずっと城に篭もりっぱなしでは退屈でしょう。街へ出られては如何かしら? 賑やかなところへいらっしゃれば楽しい気分になれますわ」
「お前のそういう俺の話を聞かねェトコとか嫌いなんだが聞いてるか?」
……ユリイーシャも或る意味見事に天尊を無視している、とアキラは気付いた。
天尊とユリイーシャは噛み合わない。好き嫌い以前に相性が悪いのだろう。アキラは苦笑を漏らした。
「街、かぁ」
アキラとビシュラはほぼ同時に零した。
このグローセノルデンの城・ヴィンテリヒブルクへやってきて数日、城の外へは一歩も出ていない。アキラの体調が安定していないこともあったが、何よりユリイーシャの言う通り吹き荒ぶ雪に閉じ込められていたのだ。
そもそも遊びに来た訳ではないとはいえ限定された空間に閉じ込められては飽きもする。見たことのない土地の外への興味も募る。不意に外へ出られると聞いて僅かに胸が弾む。
「行くか? アキラ」
「行くかって、ティエンお仕事は?」
「別に構わねェよ」
「そんなこともないんだがな」
緋はカチン、とわざと大きめの音が出るようにカップを置いた。そういう態度をする緋の心中を察することはアキラには易い。
「ティエン、わたしに付いてた間ずっとお仕事してないんでしょう? お仕事はちゃんとしないとダメだよ。お仕事ばっかりしてるのも良くないけど、遊んでばっかりいるのも良くないよ。ティエンに無理して品行方正な立派な人になってほしい訳じゃないけど、人に迷惑をかけるのはダメだよ。ちゃんとするっていうのはどれだけ仕事するかってことじゃなくてオンとオフを意識的に切り替えられるってことだと思う。ティエンはきっとお仕事自体はできるんだろうからそういうところをもっと――」
「分かった、する。仕事するからマジトーンの説教はヤメロ」
アキラに叱られるのが天尊は大の苦手。だからすぐさま降参してしまう。
ここまで真正面から天尊を説き伏せ苦笑させられる人物はそういない。
「そうですよね、アキラさん。お仕事はちゃんとしないといけないですよね✨」
ビシュラはアキラの手を取りキラキラと目を輝かせる。そんなに大したことを言ったつもりのないアキラは首を傾げる。
「歩兵長があまりにも真面目にお仕事してくださらないから、最近わたしのほうが少しおかしいのかと思い始めて不安でした~~」
ビシュラの頭痛の種はヴァルトラム。涙目になるほど困らせていたのか。いくら実戦部隊とは言っても体を動かすばかりではなく少しは他の仕事もしてあげてください、歩兵隊長。
当の本人のヴァルトラムはハッと鼻先で笑っただけ。ビシュラの苦悩など1ミリたりとも伝わってはいまい。
ユリイーシャは突然パンッと手を打った。
「では、恋バナをしましょう✨」
なんですと?
虚を突かれたアキラは口を半開きにしてユリイーシャを見る。お姫様は今何と言った?
ユリイーシャはわくわくした子どものような顔をしている。お姫様という境遇がこの人の性格をそうさせたのだろうか、見掛けの割にはとても無邪気な人だ。
「フェイもしましょう」
「アタシは特に面白い話なんて無いぞ」
「フェイはまだイイ人と巡り逢っていないの? 貴女の歳の頃にはお姉様は旦那様と……」
緋はふうと息を吐いてカップをソーサーの上に戻した。そして、そうだなぁと口を開く。自分とは正反対でまさに貴族の娘らしい娘であった姉を引き合いに出されて比較されても困る。さっさと話してしまおう。
「巡り逢い、ねぇ。この前ユリイーシャと会ったとき以降、何人のどんな男とヤッたかって意味か?」
「勿論それでも構わないわよ✨✨」
「!?」
アキラとビシュラは驚いて咄嗟にユリイーシャの顔を見る。
緋の言い方はお姫様に対して随分だと思うが、それに乗ってくるお姫様も相当なものだ。否、この二人は大人の女性であり、その手の話題が出てもおかしいことではないのだが、こうも明け透けに語ることだろうか。
「そちらのお嬢さんと歩兵隊長様は恋人同士なのでしょう? 今日は楽しい恋バナができそうね。歩兵隊長様との馴れ初めは? どちらから愛の告白をなさったの? 貴女が歩兵隊長様に見初められて? 隊員さんとは思えないほど愛らしいお姿ですもの。分かりますわ💕」
ヴァルトラムは肯定も否定もしなかった。ただつまらなさそうに無表情で、ビシュラを横目に見る。
期待の眼差しを向けてくるユリイーシャに対してビシュラは頭を下げた。
「わたくしの話など姫さまにお聞かせするようなものでは」
「歩兵長がビシュラを無理矢理押し倒して――――」
「フェイさん!💦」
「減るものじゃなし、話してやれよ。冬の間ずっとこの城に閉じ込められて退屈してるんだよ、コイツは」
緋はユリイーシャを親指で指して「な?」と同意を求める。ユリイーシャはコクコクと頷いた。
深窓のお姫様は余人の想像以上に暇を持て余しているらしい。
「恋バナっつうか猥談だな」
天尊は片方の肩を竦める。これが兄の婚約者、未来の姉上とは。確かに育ちが良く教養のある女性ではあるが常識には疎い。
ヴァルトラムが突然アキラを顎で指した。
「お前の女、真っ赤になってるぞ。処女か」
「なっ!?」
アキラは更に顔をカッと真っ赤に染めた。天尊はすぐさまムッとしてヴァルトラムを睨む。
「オイ。アキラにセクハラすんな。殺すぞ」
「処女かって訊いただけで赤くなるようなガキにテメェが手ェ出してるほうがセクハラだろうが。つうかセクハラ通り越してんだろ。人のこと犯罪者だ何だと言えた口かよ」
「俺は合意。お前はレイ――――」
「総隊長!!」
思わずビシュラは椅子から立ち上がった。
天尊もヴァルトラムもどっちもどっちのセクハラだ。どちらがどうだとか非難するほうが馬鹿馬鹿しい。緋は二人共に冷ややかな視線を送る。
(そもそも男所帯だったんだからウチの男共にはセクハラなんて概念が無いんだよな。言うだけ無駄)
それから女性陣は美味しいお茶とお菓子を楽しみながら笑い声を上げてお喋りを続けた。
§§§§§
夜。
ベッドに入ったビシュラはいつも通り腿の上に本を置いた。今日は本を開くのではなく、その上に手を置いた。そして窓から夜空を見てみた。
真っ黒なキャンバスに星がいくつもチカチカと輝いている。そう言えばこの部屋で寝泊まりするようになって星を見たのは初めてだ。外の景色を特に意識していなかったこともあるが、どうせ吹雪だろうと見もしなかった。やはりどこへ行っても夜になれば暗くなるし星は其処にある。イーダフェルトから遠く離れた北の大地でも空の見え方はそれほど変わらない。
つん、と髪の毛を引っ張られ、ビシュラは窓とは反対側を振り返った。
ビシュラの髪を指に絡めているヴァルトラム。
「オメェ、明日非番なんだってな」
「どうして歩兵長が御存知なのですか?」
「別れ際にフェイが言ってた」
何故ヴァルトラムと緋が自分の非番の話などしているのだろう。ビシュラは小首を傾げる。
「オメェを街へ連れてってやれとよ」
「街へ……」
「行きてぇんだろ。外に出れると聞いた途端嬉しそうなツラしてやがった。分かりやすいヤツだ」
「行きたいです。此方へ来る前に少し調べたのですが、とても美味しい名物があるそうですよ✨」
ビシュラはヴァルトラムに顔を近付け、上機嫌でニコッと微笑む。
「でも街へはわたし一人で行ってきます。わざわざ歩兵長に連れて行っていただくのは申し訳ありませんから。お土産を買ってきますね」
「オメェの足だと丸一日はかかるぞ」
「え」と零してビシュラの顔から笑みが消えた。
城へ到着する前からヴァルトラムの車で眠っていた為、ビシュラは城の周辺がどうなっているか見ていない。
城はだだっ広い雪原に聳え立っている。見渡せる範囲には雪をかぶった大地と森以外には何も無い。驚くほど見晴らしが良いのだ。
窓から見下ろす景色にも動くものは一つも無い。静寂で平坦な世界が広がっている。
「どんだけ離れてるかも知らねェで行くっつってたのか」
「そんなに遠いのですか。では諦めます……」
ビシュラはしゅんと肩を落して明らかに落胆。浮かれていた表情が一気に暗くなった。
「だから車に乗せてってやるっつってんだろ」
「ですが歩兵長は非番ではないのでは」
「ずらせばいいだけだ」
「……本当によろしいのですか?」
「ああ」
「ありがとうございます、歩兵長」
ビシュラはぱあぁと顔を明るくしてニコニコする。全く電球みたいに消えたり付いたり忙しい奴だ。まあ、そこが可愛らしいのだけれど。
「その代わりその『歩兵長』ってのやめろ」
「これをですか?」
「街中でそんな呼び方したら軍人だってバレるだろうが。敬遠されてぇなら別だがな」
「あ。それもそうですね」
ヴァルトラムは髪の毛をグイッと引っ張り、ビシュラを引き寄せる。ビシュラはヴァルトラムの胸板の上に落ちた。
「それに恋人同士にしちゃ固ェ呼び方だ」
その言い方は照れ臭くてむず痒い。ビシュラは頬を仄かに染める。
「では……歩兵長ではなくヴァルトラムさま、とお呼びしても?」
「まだ固ェ」
ヴァルトラムの手が後頭部や腰に回る。うなじを掠める指がくすぐったくてビシュラは僅かに身を捩る。
「愛称でお呼びしてもよいのですか?」
「オメェなら」
直ぐさま答えが返ってきてホッとした。
「……ヴァリィ、さま?」
恐る恐る口にするとヴァルトラムは目を細めてクッと笑った。
「悪かねェ」
ビシュラにとっては大それたことを言ったつもりなのに容易く受け容れられる。否、ヴァルトラムに受け容れられなかったことなどない。受け容れるどころか捕まえて離そうとしない。
ヴァルトラムはビシュラの首の根元、鎖骨と鎖骨との渓谷に顔を埋める。ビシュラは唇と舌が肌の上を這うくすぐったさを堪える。
ヴァルトラムの唇が或る一点に触れたとき、ピリッと痛みが走った。
「っ……」
「何だ、まだ痛むのか」
そこはヴァルトラムに噛み付かれた場所だった。滑らかな白い肌に似合わない真新しい瘡蓋。もしヴァルトラムにあったならば見落としてしまうような小さなものだが、他には傷一つ無い新雪のような体だから目立つ。
「オメェは治りが遅ェんだな」
ヴァルトラムは他人事のように言った。傷を負わせた張本人だというのにちっとも悪びれない。それから犬のように傷口をべろん、と舐め上げた。ビシュラは「ヒッ」と声を漏らした。痛くてくすぐったくて変な感覚に身を縮めてしまう。
「あんまり動くな。また傷になるぞ」
「まだ沁みるので触らないでください」
「オメェは俺のモンなのに何で俺が触っちゃいけねェんだ」
「いたっあいたたたっ。歩兵長……!」
「違ェな。そうじゃねェだろ、ビシュラ」
「っ……ヴァリィさまっ」
クカカッとヴァルトラムは笑った。傷口の上で唇が震えてピリピリと痛みが響く。ビシュラが痛みを堪えていると悪戯っ子のように余計に傷口を刺激する。
自分の与えるものによってビシュラが反応するのが愉快で堪らない。それが痛みであれ喜びであれ。そういう勝手な男なのだ。
この人の愛は、檻。
この人から求められることの心地良さを教えられた。独占されることの安心感に頭が痺れる。愛している分だけ支配したい人。まるで檻のような愛し方。
わたしが安住としていた世界はあなたによって壊されたのに、わたしはあなたの作った檻の中にいる。わたしは冷たい格子を握り、檻にしがみついている。心地良い檻の中にいれるなら、逃れたいなんて思わない。
Fortsetzung folgt.
「ティエンゾン様は私が伺っても答えてはくださいませんもの」
「?」
アキラが様子を伺うと天尊は否定もせずツーンとしていた。不機嫌ではないが愛嬌もない。
アキラが感じている違和感をビシュラも感じていた。なんとなくヴァルトラムのほうを見た。
カップを持ち上げ、鼻を近付けてスンスンと匂いを嗅いでいるヴァルトラム。紅茶に好みがある訳でも含蓄がある訳でもない。その行動は野生動物が口にしても大丈夫なものかどうか確認しているのと大差ない。
「歩兵長は御存知ですか? 総隊長の好き嫌い」
ビシュラに話を振られヴァルトラムはユリイーシャを一瞥した。
「アイツの嫌いなモンは、ソイツみてぇなとろくせー女だろ」
「歩兵長ッ!💦💦」
ビシュラは努めて小声で尋ねたのに、ヴァルトラムは何も気にせず普段の音量で答えた。
ユリイーシャは穏やかに「よいのですよ」と一言。紅茶のカップを持ち上げ一口飲んだ。それから茶色の水面に目を落とす。
「ティエンゾン様が私のことをどうお思いか、自分でも分かっておりますもの。ティエンゾン様はリーン様の弟君ですから仲良くしたいと思っているのですけれど、昔から私のことはあまりお好きではいらっしゃらないみたい」
天尊は何も言わなかった。ここは建前だけでも、いいえそうではないと言うべき場面だと思うのだけれど。
「昔からっていうと、子どもの頃のティエンを知ってるんですか?」
「勿論ですわ。私とティエンゾン様の御兄様のリーン様は生まれる前からの婚約者ですもの。幼い頃リーン様の元へ参上した折、ティエンゾン様とも度々お目にかかりましたわ。その頃からよく悪戯されたので恐らく好かれていないだろうと思っておりました」
「悪戯ってどんな?」
「そうねぇ……。覚えているのはドレスを剣で突き刺されたり、大好きな本を暖炉にくべられたり、リーン様からいただいたプレゼントを窓から放り投げられたり、ですかしら」
(ソレって悪戯のレベル……?💧)
なかなか壮絶な悪戯をしていらしたんですね、総隊長。
子どもの頃の話だから今更責めるようなことではないが、幼い天尊は何を思ってこのような美女に悪戯をしていたのであろうか。幼い頃はさぞかし愛らしい少女であっただろうに。
「安心しろ、ユリイーシャ。俺は別にお前のことを嫌ってる訳じゃねェ。そんなに好きじゃねェだけだ」
歯に衣着せない発言。ビシュラはギョッとした。
アキラは眉を逆八の字にして腕を振り上げる。
「こらぁ! 何でそんな意地悪言うのっ」
「本当のことだ。嫌われてると思って暗い顔してるよりスッキリしていいだろ」
「言い方が意地悪だよっ」
「俺が兄貴の女に優しくしなきゃいけねェ義理はねェ」
「ティエン~~」
肩を怒らせるアキラ。天尊がユリイーシャに棘のある言い方をしているのは明らかにわざとだ。特定の女性に敢えて優しくないなどアキラには看過できない。
「あらあら、ケンカはいけませんわ」
「俺もお前のことぐらいでアキラとケンカしたくない」
「そうだ」とユリイーシャはアキラの顔を見る。天尊に無視されても邪険にされても全く気にしない寛容さは純粋にすごいと思う。
「明日お出かけでもなさったら如何です? 仲直りも兼ねて」
「まだケンカしてねェ。お前のことなんかでケンカなんかしねェ」
「だいぶ吹雪が弱まってますの。明日には雪が已むそうでしてよ。晴れ間が見えればきっとアキラ様のお心も穏やかになりますわ」
「だからケンカしてねェっつってんだろ。勝手にケンカしたことにするな」
「ずっと城に篭もりっぱなしでは退屈でしょう。街へ出られては如何かしら? 賑やかなところへいらっしゃれば楽しい気分になれますわ」
「お前のそういう俺の話を聞かねェトコとか嫌いなんだが聞いてるか?」
……ユリイーシャも或る意味見事に天尊を無視している、とアキラは気付いた。
天尊とユリイーシャは噛み合わない。好き嫌い以前に相性が悪いのだろう。アキラは苦笑を漏らした。
「街、かぁ」
アキラとビシュラはほぼ同時に零した。
このグローセノルデンの城・ヴィンテリヒブルクへやってきて数日、城の外へは一歩も出ていない。アキラの体調が安定していないこともあったが、何よりユリイーシャの言う通り吹き荒ぶ雪に閉じ込められていたのだ。
そもそも遊びに来た訳ではないとはいえ限定された空間に閉じ込められては飽きもする。見たことのない土地の外への興味も募る。不意に外へ出られると聞いて僅かに胸が弾む。
「行くか? アキラ」
「行くかって、ティエンお仕事は?」
「別に構わねェよ」
「そんなこともないんだがな」
緋はカチン、とわざと大きめの音が出るようにカップを置いた。そういう態度をする緋の心中を察することはアキラには易い。
「ティエン、わたしに付いてた間ずっとお仕事してないんでしょう? お仕事はちゃんとしないとダメだよ。お仕事ばっかりしてるのも良くないけど、遊んでばっかりいるのも良くないよ。ティエンに無理して品行方正な立派な人になってほしい訳じゃないけど、人に迷惑をかけるのはダメだよ。ちゃんとするっていうのはどれだけ仕事するかってことじゃなくてオンとオフを意識的に切り替えられるってことだと思う。ティエンはきっとお仕事自体はできるんだろうからそういうところをもっと――」
「分かった、する。仕事するからマジトーンの説教はヤメロ」
アキラに叱られるのが天尊は大の苦手。だからすぐさま降参してしまう。
ここまで真正面から天尊を説き伏せ苦笑させられる人物はそういない。
「そうですよね、アキラさん。お仕事はちゃんとしないといけないですよね✨」
ビシュラはアキラの手を取りキラキラと目を輝かせる。そんなに大したことを言ったつもりのないアキラは首を傾げる。
「歩兵長があまりにも真面目にお仕事してくださらないから、最近わたしのほうが少しおかしいのかと思い始めて不安でした~~」
ビシュラの頭痛の種はヴァルトラム。涙目になるほど困らせていたのか。いくら実戦部隊とは言っても体を動かすばかりではなく少しは他の仕事もしてあげてください、歩兵隊長。
当の本人のヴァルトラムはハッと鼻先で笑っただけ。ビシュラの苦悩など1ミリたりとも伝わってはいまい。
ユリイーシャは突然パンッと手を打った。
「では、恋バナをしましょう✨」
なんですと?
虚を突かれたアキラは口を半開きにしてユリイーシャを見る。お姫様は今何と言った?
ユリイーシャはわくわくした子どものような顔をしている。お姫様という境遇がこの人の性格をそうさせたのだろうか、見掛けの割にはとても無邪気な人だ。
「フェイもしましょう」
「アタシは特に面白い話なんて無いぞ」
「フェイはまだイイ人と巡り逢っていないの? 貴女の歳の頃にはお姉様は旦那様と……」
緋はふうと息を吐いてカップをソーサーの上に戻した。そして、そうだなぁと口を開く。自分とは正反対でまさに貴族の娘らしい娘であった姉を引き合いに出されて比較されても困る。さっさと話してしまおう。
「巡り逢い、ねぇ。この前ユリイーシャと会ったとき以降、何人のどんな男とヤッたかって意味か?」
「勿論それでも構わないわよ✨✨」
「!?」
アキラとビシュラは驚いて咄嗟にユリイーシャの顔を見る。
緋の言い方はお姫様に対して随分だと思うが、それに乗ってくるお姫様も相当なものだ。否、この二人は大人の女性であり、その手の話題が出てもおかしいことではないのだが、こうも明け透けに語ることだろうか。
「そちらのお嬢さんと歩兵隊長様は恋人同士なのでしょう? 今日は楽しい恋バナができそうね。歩兵隊長様との馴れ初めは? どちらから愛の告白をなさったの? 貴女が歩兵隊長様に見初められて? 隊員さんとは思えないほど愛らしいお姿ですもの。分かりますわ💕」
ヴァルトラムは肯定も否定もしなかった。ただつまらなさそうに無表情で、ビシュラを横目に見る。
期待の眼差しを向けてくるユリイーシャに対してビシュラは頭を下げた。
「わたくしの話など姫さまにお聞かせするようなものでは」
「歩兵長がビシュラを無理矢理押し倒して――――」
「フェイさん!💦」
「減るものじゃなし、話してやれよ。冬の間ずっとこの城に閉じ込められて退屈してるんだよ、コイツは」
緋はユリイーシャを親指で指して「な?」と同意を求める。ユリイーシャはコクコクと頷いた。
深窓のお姫様は余人の想像以上に暇を持て余しているらしい。
「恋バナっつうか猥談だな」
天尊は片方の肩を竦める。これが兄の婚約者、未来の姉上とは。確かに育ちが良く教養のある女性ではあるが常識には疎い。
ヴァルトラムが突然アキラを顎で指した。
「お前の女、真っ赤になってるぞ。処女か」
「なっ!?」
アキラは更に顔をカッと真っ赤に染めた。天尊はすぐさまムッとしてヴァルトラムを睨む。
「オイ。アキラにセクハラすんな。殺すぞ」
「処女かって訊いただけで赤くなるようなガキにテメェが手ェ出してるほうがセクハラだろうが。つうかセクハラ通り越してんだろ。人のこと犯罪者だ何だと言えた口かよ」
「俺は合意。お前はレイ――――」
「総隊長!!」
思わずビシュラは椅子から立ち上がった。
天尊もヴァルトラムもどっちもどっちのセクハラだ。どちらがどうだとか非難するほうが馬鹿馬鹿しい。緋は二人共に冷ややかな視線を送る。
(そもそも男所帯だったんだからウチの男共にはセクハラなんて概念が無いんだよな。言うだけ無駄)
それから女性陣は美味しいお茶とお菓子を楽しみながら笑い声を上げてお喋りを続けた。
§§§§§
夜。
ベッドに入ったビシュラはいつも通り腿の上に本を置いた。今日は本を開くのではなく、その上に手を置いた。そして窓から夜空を見てみた。
真っ黒なキャンバスに星がいくつもチカチカと輝いている。そう言えばこの部屋で寝泊まりするようになって星を見たのは初めてだ。外の景色を特に意識していなかったこともあるが、どうせ吹雪だろうと見もしなかった。やはりどこへ行っても夜になれば暗くなるし星は其処にある。イーダフェルトから遠く離れた北の大地でも空の見え方はそれほど変わらない。
つん、と髪の毛を引っ張られ、ビシュラは窓とは反対側を振り返った。
ビシュラの髪を指に絡めているヴァルトラム。
「オメェ、明日非番なんだってな」
「どうして歩兵長が御存知なのですか?」
「別れ際にフェイが言ってた」
何故ヴァルトラムと緋が自分の非番の話などしているのだろう。ビシュラは小首を傾げる。
「オメェを街へ連れてってやれとよ」
「街へ……」
「行きてぇんだろ。外に出れると聞いた途端嬉しそうなツラしてやがった。分かりやすいヤツだ」
「行きたいです。此方へ来る前に少し調べたのですが、とても美味しい名物があるそうですよ✨」
ビシュラはヴァルトラムに顔を近付け、上機嫌でニコッと微笑む。
「でも街へはわたし一人で行ってきます。わざわざ歩兵長に連れて行っていただくのは申し訳ありませんから。お土産を買ってきますね」
「オメェの足だと丸一日はかかるぞ」
「え」と零してビシュラの顔から笑みが消えた。
城へ到着する前からヴァルトラムの車で眠っていた為、ビシュラは城の周辺がどうなっているか見ていない。
城はだだっ広い雪原に聳え立っている。見渡せる範囲には雪をかぶった大地と森以外には何も無い。驚くほど見晴らしが良いのだ。
窓から見下ろす景色にも動くものは一つも無い。静寂で平坦な世界が広がっている。
「どんだけ離れてるかも知らねェで行くっつってたのか」
「そんなに遠いのですか。では諦めます……」
ビシュラはしゅんと肩を落して明らかに落胆。浮かれていた表情が一気に暗くなった。
「だから車に乗せてってやるっつってんだろ」
「ですが歩兵長は非番ではないのでは」
「ずらせばいいだけだ」
「……本当によろしいのですか?」
「ああ」
「ありがとうございます、歩兵長」
ビシュラはぱあぁと顔を明るくしてニコニコする。全く電球みたいに消えたり付いたり忙しい奴だ。まあ、そこが可愛らしいのだけれど。
「その代わりその『歩兵長』ってのやめろ」
「これをですか?」
「街中でそんな呼び方したら軍人だってバレるだろうが。敬遠されてぇなら別だがな」
「あ。それもそうですね」
ヴァルトラムは髪の毛をグイッと引っ張り、ビシュラを引き寄せる。ビシュラはヴァルトラムの胸板の上に落ちた。
「それに恋人同士にしちゃ固ェ呼び方だ」
その言い方は照れ臭くてむず痒い。ビシュラは頬を仄かに染める。
「では……歩兵長ではなくヴァルトラムさま、とお呼びしても?」
「まだ固ェ」
ヴァルトラムの手が後頭部や腰に回る。うなじを掠める指がくすぐったくてビシュラは僅かに身を捩る。
「愛称でお呼びしてもよいのですか?」
「オメェなら」
直ぐさま答えが返ってきてホッとした。
「……ヴァリィ、さま?」
恐る恐る口にするとヴァルトラムは目を細めてクッと笑った。
「悪かねェ」
ビシュラにとっては大それたことを言ったつもりなのに容易く受け容れられる。否、ヴァルトラムに受け容れられなかったことなどない。受け容れるどころか捕まえて離そうとしない。
ヴァルトラムはビシュラの首の根元、鎖骨と鎖骨との渓谷に顔を埋める。ビシュラは唇と舌が肌の上を這うくすぐったさを堪える。
ヴァルトラムの唇が或る一点に触れたとき、ピリッと痛みが走った。
「っ……」
「何だ、まだ痛むのか」
そこはヴァルトラムに噛み付かれた場所だった。滑らかな白い肌に似合わない真新しい瘡蓋。もしヴァルトラムにあったならば見落としてしまうような小さなものだが、他には傷一つ無い新雪のような体だから目立つ。
「オメェは治りが遅ェんだな」
ヴァルトラムは他人事のように言った。傷を負わせた張本人だというのにちっとも悪びれない。それから犬のように傷口をべろん、と舐め上げた。ビシュラは「ヒッ」と声を漏らした。痛くてくすぐったくて変な感覚に身を縮めてしまう。
「あんまり動くな。また傷になるぞ」
「まだ沁みるので触らないでください」
「オメェは俺のモンなのに何で俺が触っちゃいけねェんだ」
「いたっあいたたたっ。歩兵長……!」
「違ェな。そうじゃねェだろ、ビシュラ」
「っ……ヴァリィさまっ」
クカカッとヴァルトラムは笑った。傷口の上で唇が震えてピリピリと痛みが響く。ビシュラが痛みを堪えていると悪戯っ子のように余計に傷口を刺激する。
自分の与えるものによってビシュラが反応するのが愉快で堪らない。それが痛みであれ喜びであれ。そういう勝手な男なのだ。
この人の愛は、檻。
この人から求められることの心地良さを教えられた。独占されることの安心感に頭が痺れる。愛している分だけ支配したい人。まるで檻のような愛し方。
わたしが安住としていた世界はあなたによって壊されたのに、わたしはあなたの作った檻の中にいる。わたしは冷たい格子を握り、檻にしがみついている。心地良い檻の中にいれるなら、逃れたいなんて思わない。
Fortsetzung folgt.